両手いっぱいの花束を




 クラッド6の居住ブロック通路に、あたしは立っていた。
 目の前には部屋の扉が、左隣にはここまで付き添ってもらったソウジが立ってる。
 包装されたテティの花束を両手に持つあたしは、緊張でガチガチだった。

「大丈夫か?」

 ソウジの気遣わしげな声。

「だ、大丈夫!」

 あたしはそれに、精一杯の虚勢で持って答える。
 正直に言えば、緊張で今にも心臓が爆発しそうだった。

 ――事の発端は、先日のこと。

 社長と晴れて家族になれたはいいものの、おっさ……お父さんと比べるとどうも"親子"として距離を感じる。
 と言うことをソウジとチェルシーに相談したところ、チェルシーから提案されたのが「母の日に花をプレゼントしたらどうか」だった。

「表には出さないけど、ウルスラも内心ではいきなりの親子関係に戸惑ってると思うのヨ。
 だからこうやって祝日でも何でも利用して、少しずつでも距離を縮めていけばいいんじゃない?」

 そんなチェルシーの言葉を頼りにあたしは今。
 こうしてテティの花束を手に、主にお父さんと社長が使っている部屋の前へ立っているのだった。

「……それより、あたしの格好どう? どこもおかしなところは無いよね?」
「あぁ、大丈夫だよ」

 あたしからの問い掛けに、ソウジは穏やかにそう答える。
 いつも通りの格好でおかしいも何もあったもんじゃないとは思うけど、聞かずにいられなかった。
 何はともあれ準備は万端。なら、後は行動を起こすのみ。

「よしっ……!」

 瞳を決意の色に染めて、扉を見つめる。
 気分はさながら、戦場へ赴く兵士だ。
 ――そんなあたしを見て、苦笑を洩らすソウジ。

 ……こっちは真面目なのに失礼な。
 抗議の意を込めジロッと横目で見ると、ソウジは慌てて目を逸す。

「ま、まー何だ?」

 誤魔化すように言葉を紡ぎ始めると、再びあたしに視線を向ける。
 その目は優しさに満ちてて。

「……頑張れよ、エミリア」
「……うん。行ってくるね、ソウジ」

 離れていくソウジを見送る余裕も無いままに、あたしは一歩前へ出た。
 胸は相変わらずドクンドクンと高鳴っている。
 言ってしまえば単に花を渡すだけのこと。なのに、どうしてこんなに緊張するのか。

 あたしは深呼吸をする。
 ――大丈夫、きっと受け取ってくれる。あたしはそう、自分に言い聞かせる。
 ここまで付き添ってくれたソウジの為にも、絶対に渡さないと。

 両手で持っていた花を左手に持ち、背中へ回すと、右手をチャイムへと伸ばす。
 人差し指でチャイムのボタンを押すと、同時に響く鐘の音。
 扉の向こうから「はーい」と言う声と共に、足音が近づいてくる。
 プシューと言う音と共に、扉が左へスライドする。その向こうにいたのは、ずばり目的の人物。

「どちら様で――。あらエミリアじゃない? どうかしたの?」

 社長はあたしの姿を見ると、笑顔で出迎えてくれた。
 緊張は、ここでピークに達する。

「あ、あの」
「? なにかしら?」

 モジモジとするあたしを見て、社長は不思議そうな表情を浮かべる。
 ――何やってんのよあたし! ここで根性見せないでどうすんの!
 心の中で叫ぶと同時に、あたしはいよいよ覚悟を決める。

 ――大丈夫、きっと受け取ってくれるハズ!
 そう祈るように考えながら、背に回した左手を――テティの花を、社長に差し出し、あたしは言う。

「こ、これあげる! は、母の日の、プ、プレゼント!」

 だけど根性を出せたのは、そこまでだった。
 ギュッと瞳を閉じ、顎を引いて俯き気味になる。反応を見るのが怖かったのだ。

 なかなか返ってこない返事。
 ダメだった――? 不安を胸に、恐る恐る瞳を開けようとしたその時だった。

「え……?」

 最初は何か暖かい物に包まれたと思った。
 目を開けると、社長が自分を抱きしめていた。

「ありがとう、エミリア」


 ***


 ウルスラは、エミリアが自分を"母"として捉えかねていることを理解していた。
 ――当然だろう、と思う。彼女もまた、いきなり娘が出来たと言われてもピンと来なかったのだから。
 それまでずっと独身でいたこともあるし、長らく社長と部下と言う関係でいた影響も勿論ある。

 だからと言って、ウルスラは早急に距離を縮めようとは思わなかった。
 元々エミリアとの仲は決して悪くない。これで家族として更に仲が深まればいいなとは思う。
 けれど、焦り、下手を打って仲が拗れてしまえば、それこそ元も子もない。

(時間をかけて、ゆっくりと家族としての仲を深めていけばいい)

 幾分消極的だとは思いつつも、ウルスラはそう結論づけていた。
 そしてその結論そのものは間違ってはなかったと、今でも確かに思っている。
 しかし一方で、"拒絶されたら"と言う不安があったことも、彼女には否定出来なかった。

 柄にもないと、ウルスラ自身そう思う。
 不安を抱くなど、少なくともここ十数年間、彼女にとって無縁の感情だったからだ。

 ――彼女は今、間違いなく幸福の絶頂にある。
 その一因には当然、長年恋心を抱いていたクラウチと遂に結ばれたことがあるだろう。
 そしてそれと同時に、あの騒動を経てより絆が強固となった、エミリアやチェルシー達の存在も大きかった。

 彼女は一代にして誰もが羨む華々しい地位を得た。しかしその道程は決して平坦なものではなかった。
 嫉妬や中傷などは当たり前、ビジネスパートナーとして信じていた人間があっけなく裏切ることも日常茶飯事だった。
 故に心の底から信じられる人間の存在がどれほどかけがえの無いものであるかを、痛いほど理解していた。

 ――彼女は今、間違いなく幸福だった。
 幸福でありすぎたが故に、それを失うことを恐れたのだ。

「こ、これあげる! は、母の日の、プ、プレゼント!」

 にも関わらず、今ウルスラの目の前にいる少女は、自ら"親子"として歩み寄ってきたのだ。
 エミリアと言う少女が、ほんの少し前まで、まるで何もかもから逃避するかのように生きていたことをウルスラは知っている。
 かつての境遇から、他者から拒絶されること、忌避されることを恐れていたのが原因だった。

 ――そんな誰よりも他者から突き放されることを恐れていたハズの少女が、こうして自分から歩み寄ってきてくれた。
 ウルスラは不安を抱いていた己を恥じ、同時にそんなエミリアの行動がたまらなく愛しく思えた。
 少女は勇気を出した。ならば、年長者である自分が、母である自分が、それに答えなくてどうする?

 顔を真赤にして、目を閉じ、俯き気味に花を突き出すエミリアを見て、ウルスラの頬は知らず綻んでいく。
 自然と、身体が動いた。決して意図したわけではなかった、ただただ自然に、少女を。不器用で、愛しい娘を抱擁していた。
 唇から紡がれるのは、心の底からの感謝の言葉。

「ありがとう、エミリア」


 ***


 社長の言葉は、まるで沁み込むように心へ響いた。
 あたしの想いは、ちゃんと社長に――お母さんに伝わったんだ。

「――うん」

 両手を、お母さんの背に回す。
 お母さんの抱擁はとても暖かくて、香水のいい匂いがした。


 ***


 あたしには、お母さんが二人います。

 優しいんだけど、どこか抜けてるお母さん。
 とっても頼りになるんだけど、戦闘や仕事になると怖いお母さん。

 どっちもかけがえの無い大切な家族で――自慢のお母さん達です。



 〆



 〜あとがき〜

 時系列的には、連作中で最も過去の話になります。
 本来は母の日に更新する予定だったのですが、書いたことをすっかり忘れてこんなことに…。


 


2010/05/20改訂

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