5月。ゴールデンウィークも終わり、そろそろ新生活にも慣れてきた時期。
 多祇神社の拝殿正面には3段ほどの階段があり、登ってすこし奥まった先に賽銭箱が置かれている。
 るいはその階段に腰掛けて、境内をぼんやり眺めていた。
 灯籠。神楽殿。授与所。手水場。奥には鳥居があるが、その向こうは下り階段のため、ここから見るとまるで空につながっているようだ。
 背後の拝殿の奥には本殿があって、裏手には社務所兼しずくの自宅。大きな御神木もその側にあった。
 まったくもって当然のことだが、神社と聞いて一般的に連想する物はおよそすべて揃っていた。しかし、いつ来てもないものがある。
 ぽつりとつぶやくるい。

「この神社」

「〜♪ はい? どうかしましたか?」

 白と赤の巫女服。鼻歌を歌いながらすぐ側の石畳を箒で掃いていたしずくが、るいのつぶやきに反応する。

「いつきても人がいないんだね」

「……畑野さまはしょうじきものなんですね」

 気にしているらしくジト目を向けるしずくだが、るいはしれっと返す。

「へんにオブラートに包んでもしょうがないかな、って」

「まあ……、たしかにそれもそうですね」

 しずくはため息をつく。どう抗弁しようにも、いつ来てもガランとした境内が現実を物語っていた。

「どうしていつも人がいないのか、畑野さまはおわかりになられますか?」

「籤引駅から郊外で、山中にあってアクセスがわるいからでしょ」

 籤引市は駅を中心に栄えており、ともすれば同じ市内にあっても郊外なんか行ったことがない人も多いのではないか。

「そのとおりですけれど……」

 しずくも認めたが、しかしなぜだかどこか不満げである。求めた返事ではなかったということらしい。
 初対面では澄ました態度からおとなびた少女だとばかりおもっていた。
 それが意外と感情的で、親しくなった相手に甘えたがりな傾向があると知ったのはすぐのことだ。
 もうひとつ心当たりがあるので、「それと……」とこんどはそちらも口にしてみる。

「これは最近知ったんだけど。籤引駅からこの神社と反対の方角に行くと、おおきい神社があるらしいね。それに参拝客がとられた、とか?」

「半分せいかいですね」

「半分?」

 こんどは正解だったらしい。しずくは一転して楽しげに話し始める。

「畑野さまはその神社を他社だとおもっているのでしょう?」

「うん」

「あれも多祇神社なのですよ。こちらが本社で、あちらが分社のかんけいです」

 目を見開くるいに、しずくは袖で口元を隠してふふふと笑う。

「おどろきましたか?」

「うん。ここが本社だったことにもおどろきだけど……。どうして僕があれを他社だとかんちがいしていたとわかったんだいホームズ?」

「ふふふ、さかえてる神社とすたれてる神社があって、後者が本社だとおもう人はいない。人間心理の基本ですよ、ワトソンくん」

 胸を張るしずくだったが、すぐにハッとした表情を浮かべた。るいは問いかける。

「推理小説とか、すき?」

「……こほん」

 しずくは右手を口に当ててかわいらしく咳払いをすると、仕切り直す。

「昔はこのあたりが中心で、あちらが郊外というあつかいだったんですよ。昭和31年に籤引駅しゅうへんの開発がはじまって、それからいろいろとたちばが逆転していってしまったとか。妾の両親も、日中はあそこで神主と巫女をやってますね」

「そうだったんだ」

 人ならぬ、神社に歴史ありということらしい。
 立場が逆転。初対面でしずくが、おもわせぶりな言葉を口にしていたことをふいにおもいだした。

「……例祭って、その神社の氏神をお祀りするための、ようするにお祭りのことだよね?」

「そうですね。もしかして、おしらべになられたのですか?」

「うん。しずくのことをすこしでも知りたかったからね」

「妾のことを……あらまあ……うふふふ……」

 袖で口元を隠しながらたのしそうに笑うしずく。機嫌もいいみたいだし、ここは思い切って切り込んでみることにした。
 るいの推測が正しければ、きっとこういうことなのだろう。

「例祭を本社でやらず分社だけでやるようになったのも、いろいろと逆転していったことのひとつ?」

「そう……ですね。もともとはもちろん本社だけでやっていたんですよ。このあたりの事情、くわしくお聞きになりたいですか?」

 例祭。この単語にしずくの心を煩わせるなにかが含まれているのだろう。
 以前と同じく表情こそ曇った。が、口ぶりは存外に軽い。これなら聞いてみても問題なさそうだ。

「よろしく」

「それではあらためまして……」

 昭和31年。ときは高度成長期。戦前の昭和10年に開業したものの手つかずだった、籤引駅周辺の開発が進められることとなった。
 周辺地域から加速度的に移り住んでくる人々。今風にいえば"駅チカ"だった分社は、わずか5年足らずで総参拝者数が本社をぶち抜いたという。
 間もなく例祭が本社と分社のそれぞれで行われるようになっていった。

「どうしてそんなことに?」

「新住民……これもいまとなっては古いし……なにより"よくない表現"ですが。そういったかたがたからお祭りをやってほしいという声があって、それに分社がこたえたんです」

「へえ」

 或いは、新住民にとっては自分たちのお祭りがほしかったのかもしれない。
 よくない表現――。かつて地元民と新住民との間に静かな確執があったと感じるのは、あながち考えすぎでもないのだろう。

「ですが、さすがにいつまでも『それはどうか』という声が、おもに古くからこの地に住まう氏子たちからあがりまして」

 要するに「分社が本社をないがしろにするなどけしからん!」ということだった。
 かといって、いまさら本社が例祭の中心になるのは現実的ではないことも理解していたらしい。

「それからお神輿をかついで本社と分社を往復するようになりました。あくまでも祭神がおられるのはこちらだと、分社に誇示するためだったようですね」

 お神輿を担ぐのは古い氏子一族だけだったというのだから、なんともあからさまな話だ。
 もちろん古い氏子にも言い分はあるのだろう。ともすれば新住民の側にだって問題はあったのかもしれない。
 とはいえ、あまり気持ちのいい話でもない。だが当事者たるしずくがやれやれといった表情をしているのだから、るいが突くのも野暮だろう。

「……けど、ここと分社じゃけっこうな距離あるんじゃ? それに山道をのぼらなきゃいけないし」

「さすがにたいへんだったようです。そのうち往復はやめて、いちねんごとに本社と分社をお神輿がいききするかたちになりました。やがてそれもやめて、いまは分社の倉におきっぱなしに」

 新住民からすればあまりいい気持ちのする存在ではないだろう。そのまま倉に閉じ込められててもおかしくはない。
 しかし幸いというべきか、分社で毎年おこなわれる例祭ではちゃんと活躍しているそうだ。

「なるほど……。だけど、そうなることに例の古い氏子たちから文句はでなかったの?」

「なかったですね」

 きっぱりとしずく。意外だった。結果だけみれば大事にしていたお神輿を分社に持っていかれたようなものだからだ。

「というよりも、いえなくなったというほうがただしいです」

「いえなくなった?」

「氏子たちの高齢化にくわえて世代交代も進まず……。それでも伝統をまもろうとがんばったものの……」

 そこでいいづらそうに言葉を途切らせるしずく。どうやら"物理的"に守ることが不可能になったらしい。


「……末期のほうの平均年齢って、いくつくらいだったの?」

「現在72だとか……。え……ああっ! いえ! そういうわけではありませんよ? まだまだお元気なかたも残ってらっしゃいますし!」

 箒を持たない手をあわてて振って否定するしずく。どうやら邪推しすぎてしまったようだが、順調に数は減っているようだ。

「えっと……お話はもどりますが……。妾が3歳のころ、お神輿ごと本社の石段からおちかけたんです。そうなると、さすがにもうなにもいえなくなったそうです」

 伝統。そもそも本社と分社を往復し始めた時点でとっくに伝統を歪めているようにもおもうが。もはや理屈ではないのか。
 トドメとばかりに事故未遂の件が全国ニュースで流れてしまったという。ことここに至り、さしもの古い氏子たちもおとなしくならざるを得なかった。
 なにせ伝統を守るどころか傷つけかけたのだから立つ瀬がない。

「それいらい、分社にお神輿をおきっぱなしになりました。このじてんでは、以前のように本社と分社でそれぞれ例祭をやることもかんがえられていたのですが……」

 顔を横に向けるしずく。つられて目で追えば、いつものようにガランとした境内が広がっている。

「いまや例祭は分社でしか行われていません。けっきょく……、本社だ分社だとこだわるような時期なんてとうにすぎさっていたんですね」

 そういったしずくの声は、どこまでもさびしげな響きをともなっていた。

(ここまで、かな)

 るいはそうおもった。例祭に対して並々ならぬ感情を抱いていることはわかったのだ。
 ならば――、これ以上は踏み込まない。地雷を確認したら避ける。それが畑野るいの処世術だった。








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