黒須あろまにとって、椏隈野シドは憧れの存在だった。
初めてその姿を見たのは小学1年生の時。
父に連れられて行った、総合体育館で行われていた少年バスケの試合でのことだ。
バスケになどまったく興味を持たないあろまにとって、観客先から見えるコートの光景はそれはそれは退屈なものだった。
ルールはさっぱりわからないが、ボードに記された数字が先ほどからまったく動いていないことくらいはわかる。
膠着した試合風景。ますます加速するあろまの退屈。父についてきたことを心の底から後悔していると、ふいにコートの様子が変わった。
選手全員が白線の外側に出たと思ったら、ひとりだけが中にもどってきた。両手には、バスケットボール。
「延長が続いたから、サドンデスで決着をつけることになったんだな。それぞれの代表選手がゴールに向かってボールを投げて、先に入ったチームの勝利ってことになる」
聞いてもいないのに隣で説明をする父。とまれチームの勝利がかかった一投は、虚しくゴールリングに弾かれた。
さっさと入れて終わりにしてほしいというあろまの願いも虚しく散り、つづいて対戦相手の選手が白線に足を踏み入れた。
けれど、先ほどとはなにか気配がちがう。そしてその少年がバスケットボールを掲げた瞬間、しん、と体育館が静まり返ったのだ。
まるでコート上には彼しか存在しないような――、そんな錯覚にとらわれるあろま。
流れるような動きで投げられたボールは、まるでそうなることが当然であるかのように、ゴールリングをくぐり抜けていった。
遅れて、爆発するような歓声が体育館に響き渡る。その時になって、あろまは自分が息を忘れるほど彼に見入っていたことに気がついたのだ。
どうやら父が贔屓にしていたチームの選手ではなかったらしく、隣で嘆息するのが聞こえた。
「彼みたいな少年が、将来スター選手になるんだろうね」
「……スター選手って?」
「ん? そうだねえ。まずスポーツが抜群にうまくて、さらに人の眼を引くような華がある選手のことだね。たとえば長嶋茂雄みたいな……って、わからないか……。そうだ、あろまが好きなプリパラのトップアイドルみたいなものかな」
アイドル。ステージの上ではだれよりもなによりも輝く存在。
コートで見せた彼――シドの輝きは、まさにそれだった。
そうしてそのまばゆい輝きに、あろまはすっかりやられてしまったのだ。
***
季節はそろそろ秋を迎え、にわかに肌寒い。色づいた街路樹がその葉を落としている。
とぼとぼと、あろまはうつむきがちに学校からの帰り道を歩いていた。
シオンから提案された休戦を受け入れ、ひとまずはドリームグランプリに全力を注ぐと決めた日。
その決定そのものに異議はないし、これといって思うところはない。
あろまをゆううつにさせているのは、自分自身の問題だった。
(……3人、か)
シドを慕っている少女が、よもや身近に3人もいたことに驚きはなかった。
ドロシーがいっていたように、かつてのシドはスター選手だった。
専門誌でも将来有望な選手として語られていたし、衛星放送とはいえTVで特集を組まれたこともある選手だったのだ。
選手生命が断たれたことで離れた者も多かっただろうが、それでも慕っている女性だってすくなくないと考えるべきだろう。
むしろ今まで半独占できていたことがラッキーだったといえる。
しかしそんなことはどうでもいい。恋は戦争。敵がいるというのなら戦うだけの話だろう。
だが――、そもそも己はシドに恋をしているのか?
「みんな、真っ直ぐだった……」
先の会話を振り返る。
らぁらも、ドロシーも、シオンも、真っ直ぐにシドへの恋心を宣言していた。
黒須あろまは椏隈野シドが好きだ。これはまちがいない。
だが、らぁらたちのように"愛"の領域に達しているかと問われれば――、自信がなかった。
己の好意は憧れの延長に過ぎないのではないか、そんな考えがついて離れない。
(はたして我は、あの3人の中に入っていてもいいのだろうか?)
今になってそんなことで迷い出すような半端者が、あの真っ直ぐな少女たちの中にいていいのだろうか?
そんなことをウジウジと考えながら帰路をたどっていると、公園が見えてきた。
家へ帰るにはこの公園を突っ切るのが近道だ。足を踏み入れると、ふとベンチに見知った顔。
「……シド?」
「よう、あろま。学校の帰りか?」
「……うむ」
笑顔で手を振るシドだったが、あろまの応対は自然と暗いものになってしまう。
シドには申し訳ないが、今このタイミングで会いたくはなかった。
だからといってなおざりな態度を取っていい理由にはならない。シドの正面に移動すると、問いかける。
「……なにをしておったのだ?」
「特になにも。散歩の途中ですこし休憩してるだけだよ」
「そうか……」
これで最低限の会話のキャッチボールは済ませた。
あとは「じゃあ、我はこれで」と立ち去ればよかったのに、あろまは自然とその言葉を口にしていた。
「……となりにすわっても、よいか?」
「ああ、いいぞ」
立てかけてあった杖を手に取ると、横にずれてあろまの座る場所を作るシド。
「……すまぬな」
会釈をして隣にすわるあろま。しかし、そのままうつむいてしまう。
なにかを話すべきなのに、なにも言葉が出てこない。
だれもいない公園にふたりきり。まるでこの世界に自分たちしかいないような錯覚に陥る。
ふいに、沈黙を破るようにシドの声。
「昨日さ、部活の仲間と会ってきたよ。どいつもこいつも前と変わらなくてな。俺が部室に顔だしたら、あたり前のように迎え入れてくれた。……こんなことなら、もっと早く会えばよかったとおもったよ」
深い感慨のこもった声。シドにとって、それが大きな冒険であったと察するには十分だった。
あろまがなんと言葉を返せばいいのかもわからないまま、シドは続ける。
「それで、今日ここに来ることにしたんだ」
「……どういうことだ?」
「この公園に来るの、実はひさしぶりなんだよ。家から遠いし、行きはともかく帰れる自信がなくてさ」
「ほら」とシドが指さした先を、うつむきながらもあろまは目で追う。
「あそこにバスケットゴールがあるだろ? いつも、ここで小さい頃からずっとフリースローの練習をしてたんだ」
懐かしげな声。けれど、すぐに声のトーンが落ちた。
「それで、ついさっき試しにフリースローをしてみたんだ。ボールは持ってきてないから、形だけのフリースロー。……だけどさ、ダメだったんだよ。身体が全盛期みたいに動く気がしなかった。練習してなかったから身体が鈍ってるとか、そういうんじゃない。もっと根本的なところで、改めて実感した。ああ……俺の身体は本当にダメになったんだなって」
平坦な声。どんな顔をしているのか、それを見る勇気が今のあろまにはなかった。
シドの立場を自身に当てはめて考えてみようとする――、プリパラで歌って踊れなくなった自分。
想像ですら恐ろしくてムリだった。けれど、シドにとっては紛れもない現実。
どれだけ苦悩し、どれだけ絶望したことだろう。とても安易な言葉はかけられなかった。
「――おかげで、踏ん切りがついたよ」
だが、次に発せられたシドの声はあっけらかんとしたものだった。
「……踏ん切り?」
「今度、通信制の学習教材を頼むことにしたんだ。スポーツ科学をやれる大学に行こうと思ってさ」
「スポーツ科学というのは……」
「文字どおり、スポーツを科学的に研究する学部だそうだ。卒業後の進路としてはスポーツ器具メーカーとか、インストラクターとか、そういう方向だな。……俺はいまでもバスケが好きだ。でも、この身体だからもうやれないだろう」
「それは……」
「べつに自分のことを卑下してるわけじゃないぞ。ただ事実は事実だ。だから、せめて裏方としてでもなにかに関われないかなって、そう考えたんだ。それで部活のコーチに相談したら、そっちの道をおすすめされたってわけだ」
力強い声だった。前に進もうとする意志に満ちた力強い声。
強い、とおもった。シドは絶望を乗り越えていたのだ。
それに比べて――比べるのもおこがましいが――いまのどうでもいいことに惑ってる自分とは大違いだと、あろまは自己嫌悪する。
「あ、勉強のことなら心配しないでくれ。俺ってこれでも学業成績はよかったんだぞ!」
「そうなのか……」
おどけるシドに、生返事をするあろま。
そこで会話が止まった。隣でグシグシと音が聞こえた。シドが髪をかいたのだろう。
(――となりにすわったのは、完全にしっぱいだった)
あろまは後悔していた。シドと会話をすれば、自分がシドに対してどう思っているのかの答えが出ると思った。
だというのにこの有様はなんだ。シドはとても真剣な話をしてくれているというのに、己ときたら生返事をするばかり。
これでは自分がシドをどう思っているか見極める以前に、シドから見切られても文句はいえまい。
そうしてこの期に及んで、自分のことばかり考えている自分があろまは大嫌いだった。
「あろま」
「……なんだ?」
自己嫌悪する自分にさらに自己嫌悪していくあろまだったが、辛うじてシドに返事をする。
それでもやはり生返事で、それがまた自己嫌悪につながって……。
「俺は――、おまえのことが好きだよ」
風が、吹いたような気がした。
堂々巡りしていた思考が一気に吹き飛ばされたような、そんな感覚。
「あ、……え?」
いま、シドはなんといった? とっさに顔を上げるあろま。
「ははっ、やっと顔を上げてくれたな」
笑うシド。もしかして、ただからかわれたのか? いや、そんなことをする人物ではない。それくらいはこれまでの付き合いで知ってる。混乱するあろまに、シドはいう。
「まあ、あれだ。あろまがなにを悩んでるのかはわからない。話したくないなら聞かない」
「でもな」、そういってシドは真っ直ぐにあろまの眼を見据えた。
「これだけは忘れないでくれ」と、真摯な眼差しでいう。
「ここに――、お前のおかげで救われた人間がいるんだ、ってことをさ」
あろまは胸を突かれた思いだった。
つまり、シドはしょんぼりしている自分のことを励まそうとしてくれていたのだ。将来の展望を語ることで。
救われたとシドが指しているのは、まずまちがいなくあの日のライブのことだろう。
陸橋脇のベンチで腐っているシドが見ていられなくて――。自分なりに彼を励ませる方法がないのか考えて――。
直接チケットを渡すのがこわかったからみかんにお願いして――。当日もシドが来てくれなかったらどうしようと不安で――。
めが姉さんからシドが来たと連絡が届いたときは飛び上がりそうなほど喜んで――。ライブでは必死に歌って踊って――。
まさかあんな姿になってるとは思わなかったけど楽屋でひさびさに会って――。一体どんなことをいわれるのか不安で胸いっぱいで――。
だけど――
『ほんとうに……、ここまで"足を運んで"よかったよ』
――ストンと、なにもかもが胸に落ちた。
(ああ――、そうか、そういうことだったのか)
お腹の奥から熱がせり上がってくるような、そんな感覚。
答えは、とっくに出ていたのだ。
「……シドよ」
「うん?」
「汝は我の眷属だよな?」
「ああ、そうだよ」
「眷属になって、どれくらいだ?」
「おおざっぱに半年くらいか」
「そうか――、これまでよく我につかえてくれた」
あろまはベンチから立ち上がると、シドの正面に立つ。
「功績には報いねばなるまい。褒美を、やらねばな」
「褒美?」
怪訝な表情を浮かべるシド。
そのまま軽く前かがみになると――、自分の唇をシドの唇に重ねた。
一秒か、二秒か、いずれにせよほんの短い瞬間。けれどあろまにとっては永遠に等しい瞬間。
ゆっくりと離れれば、目をまん丸させたシドの顔が見えた。
「あ……、あろまさん? なにを……」
「わーっはっはっは! これが褒美である! いだいな悪魔である我のせっぷんに与れたことを光栄におもうがよい! では、今日のところはこれでさらばだ!」
身を翻し、脱兎のごとくその場から走り去る。背後からシドの声が聞こえたが、そんなのは無視だ。
バクンバクンバクンと胸が痛いほどに高鳴っている。顔が熱い。いや全身が熱い。
そうだ、答えなんかとっくに出ていたのだ。わたしは、我は、黒須あろまは、椏隈野シドのことが――
「――大好きだ!」
いつの間にやら走っていた土堤道に、あろまの叫び声がこだました。
この気持ちはだれにも――、らぁらにだってドロシーにだってシオンにだって――、絶対に負けてはいない!
いまなら、心の底からそう断言できた。
はじまりはあこがれ。けれどいまこの胸にあるのはまちがいなく本物の――、恋心だ。
***
休戦はあくまで休戦であり、恋敵が存在するという事実が消えるわけではない。
ゆえにお互いを監視するため、あろまたちは4人で昼食を取ることが増えた。
まあ実の所をいえば、同じ男を好きになった女同士の親近感と好奇心から4人で集まることが増えただけなのだが。
裏庭。青空の下、らぁらの声が響き渡る。
「だーかーらー! シドお兄ちゃんは私のなのー!」
「そこまでいうなら名前でも書いてあるんだろうなー? ええ?」
もはやお馴染みとなったらぁらとドロシーのやりとりである。
どこのチンピラだという感じにドスが利いたドロシーのツッコミに、一瞬だけ詰まるらぁら。
「な、なまえは書いてないけど……。だって幼なじみだし!」
「ボクだってそれなりに長い付き合いだぞ! 3年もあれば立派な幼なじみといっても過言じゃないだろ!」
過言である。正味1年にも満たない付き合いで幼なじみを名乗るのはさすがに図々しいだろう。
(それがとおるのならば、小1のころからずっとシドを追いかけていた我だって……ムリか)
とまれ堂々と胸を張るドロシーに、口喧嘩の強くない(そもそも誰かと争うのが苦手なのだろう)らぁらはたじたじとなった。
「え、えっと……それじゃあ! お風呂だっていっしょに入ったことあるし!」
「……さいごに入ったのはもう4年も前だけど」と小声でつぶやいたのを、あろまはしっかり聞いていた。
シドからぁら、どちらかの家にお泊りしたとき、いっしょに風呂に入ったといったところだろう。
決して艶めいたものではないのだろうが、それはそれであろまにはうらやましいものがあった。ふたりだけの思い出。
そこにシオンが口を挟んだ。
「私もいっしょに入ったことがあるぞ。それも、つい最近だ」
「う゛ぇ゛!? マジで!?」
心底おどろいた様子のらぁら。
女性として身体が出来上がりつつあるシオンと入浴では、意味合いが一気に変わる。
フフンと勝ち誇るシオンに、ドロシーが全力でツッコむ。
「だまされんならぁら! こいつはシドの入浴中に乱入しただけだぞ! すぐ気絶したらしいし!」
「しかし旦那さまと同じ風呂場に入ったことに変わりあるまい!」
「屁理屈こねるな!」
「お前にだけはいわれたくない!」
ギャーギャーと口喧嘩を始めたドロシーとシオンを横に、らぁらはうーんうーんと唸っている。
まだ律儀にシドが自分のものであるという根拠を上げようとしているようだ。
(しかし、幼なじみか)
なんと甘美な響きだろうか。その一事を持ってあろまはらぁらがうらやましくてしょうがなかった。
付き合いが長いということは、それだけ自分が知らないシドの姿を知っているということだ。
詮ないことだとは自覚しつつも、ちいさな嫉妬と、大きな劣等感があろまに湧き上がる。
「それと……えーと……。ちゅ、ちゅーだってしたし!」
ピクリとあろまの耳が動いた。ちゅー。それならば我だって――
「はん! どうせほっぺにとかいうオチだろ!」
「うっ……バレて……」
「――わ、我も!」
反射的に大声を出してから、あろまの脳裏に先日の記憶がよみがえった。
そうしていまになって、自分がおそろしく大胆なことをやったという実感が襲ってきたのだ。
無意識に左手で口元を押さえる。キスをしたのだ。ファーストキス。
ふと、全員の視線があろまに集まっていることに気がついた。
「ご、ごほん!」
左手をグーにして、ごまかすように咳払いをすると、代わりの言葉を口する。
「ぷ……、プリパラへの招待状をシドにわたしたぞ!」
「しょ、招待状ってあの招待状!?」
「そのとおり! あの招待状だ!」
「ず……ずるーい! 神アイドルになったらわたそうとおもってたのにー!」
「はーっはっはっは! おろか者め! こういうのは早いもの勝ちだ!」
取り乱すらぁらを見て、ほんのすこしだけ溜飲を下げるあろまであった。
「ずーるーいー!」と両手を振るらぁらに、「はーっはっはっは!」と勝ち誇った笑みを返すあろま。
その横でドロシーがシオンに問いかける。
「なあシオン、招待状ってなんだよ?」
「たった一度だけ、ひとりの異性をプリパラに招待することができる。その招待状のことだろう」
「は!? そんなの知らないぞ!」
「プリパラ名鑑のレギュラー枠に載ったアイドルしか発行をゆるされない、あらゆる意味で貴重なもの……。だと、おまえにも説明があったはずなんだが」
ジト目を向けるシオンだが、ドロシーはいっそ清々しいほど堂々と胸を張って答える。
「知らん!」
「……だろうな。おおかた聞き流していたんだろう」
「くあー! くやしい!」
頭をかきむしって悔しがるドロシーに、ふしぎそうに問いかけるシオン。
「先んじられたとはいえ、招待状の価値そのものがなくなるわけではないだろうに、そこまでくやしがることか?」
「先んじられたってことがくやしいんだよ! くあー!」
「ふむ」と思案顔をするシオン。
「正直なところ、私にもその気もちがないといえばウソになる、か。……黒須あろま、なかなかやるじゃないか。敵ながらあっぱれだ! 最大の敵はらぁらだとおもっていたが……意外とあいつが立ちはだかるのかもしれないな」
新たな好敵手を見つけたり――。あろまに熱い視線を向けるシオンに、ドロシーは吠える。
「おまえそんなこと考えてたのかよ! 最大の敵はどうかんがえてもボクだろ!?」
「……ふっ」
「は、鼻で笑っただと……!? 見てろよー! 絶対おまえに吠え面かかせてやるんだからな!」
「期待しないでおこう」
「期待しろ!」
ギャーギャーと少女たちのさわぐ声が青空に響く。
これ以降、らぁらたちの神アイドルを目指しての戦いは急加速することとなる。
果たしてその変化が彼女たちの物語にどのような変化をもたらすのか――、それはまた別のお話。
この物語の主役はそう、ひとりの悪魔の少女と、その使徒となる少年なのだから――。
ひとりの少女がテレビの前で踊っている。
テレビに映っているアイドルの動きに合わせて、一生懸命に身体を動かす。
ふいにテレビの画面が消えた。抗議の視線を向ければ、テレビのリモコンを持った母が仁王立ちしている。
「いつまでプリパラテレビ見てるの! はやく寝なさい!」
母に叱られたものの、さして気にすることなく『いいところだったのに』と頬をふくらませる少女。
「むー、あともうちょっとだけー」
「さっきもそういってたでしょ! しっかり寝ないと、将来立派なレディになれないわよー」
「りっぱなレディになんかならなくていいもーん。だって、わたしはりっぱな"あくま"になるんだから!」
「悪魔……?」
キョトンとした表情になる母親。その時、玄関から扉の開く音が聞こえてきた。
「あ、パパだ! パパー!」
駆け出す少女。玄関に入ってきた父に、そのまま抱きつく。
「おかりなさいパパー!」
「おう、ただいま。今日も元気だなおまえはー」
父はそのまま左手で少女を抱き上げると、右手で靴を脱いで玄関を上がる。遅れて母もやってきた。
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま、母さん」
ほほ笑み合う夫婦に、むーっと頬をふくらませる少女。自分の存在がないがしろにされたとおもったのだ。
父の頬をペタペタと触る。
「パパ! パパ!」
「はいはい、ちゃんと見てますよ」
困ったように、けれど満更でもない様子で笑う父。相手をしてもらい、一転ご機嫌になる少女。
「きょうはね! プリパラテレビみてたの!」
「ほう、どんなアイドルが踊ってたんだ」
「むかしのアイドルとくしゅうでね、あくまけいアイドルっていうのがいたの!」
「ほーう……」
母に向かって意味深な視線を送る父。すこしふしぎだったが、少女は気にせず話を進める。
「それでねそれでね! その子がとってもかわいくてね! だからきめたの!」
「決めた?」
「うん! わたしもおっきくなったら、あくまけいアイドルになる!」
「はっはっは! そうかそうか! お前も悪魔系アイドルになるか! はっはっは!」
何故か大笑いする父。よくわからないが、父が楽しそうにしているのならきっといいことなのだろう。
「そしたらね! パパのことをわたしの"けんぞく"にしてあげる!」
「ダメよ」
母が、少女の抱かれている反対の腕にそっと抱きついた。
眉をしかめる少女に向かって、母はいままで見たことがないような魅惑的な笑みを浮かべるのだ。
「パパはもう――、お母さんの使徒なんだから」
その笑みは、ついさっきテレビで見た悪魔系アイドルとそっくりだった。
〆
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