吹き付ける雪が、視界を奪う。
 耳には、風切り音しか入ってこない。
 踏み込む度に、足首まで雪に埋もれた。

 あたしの後ろにいるルミアは、大丈夫だろうか。
 ふと頭を過ぎる疑問、だけど確認するだけの余裕は無かった。
 腰に巻きつけた紐に体重を感じない限りは、大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 朧気な視界は、ただひたすらに目の前を先導するソウジだけを捉えている。
 雪が纏わり、重い足を必死に持ち上げ、ただ黙々と歩き、その背についていく。

 不意に、ソウジの足が止まった。
 続いて止まるあたし。

 ソウジは振り向くと、手招きをした。
 あたしは無心でソウジの横に並ぶ、するとそこには、淡い光に照らされた建物があった。

「……やっと、ついたのね」

 いつの間に立っていたのか、あたしの左隣から、風切り音に混じってルミアの声が聞こえる。
 その声色は疲労感に満ち溢れていて……、同時にあたし達全員の気持ちを代表するものでもあった。

 どうしてこんなことになったのか、あたしの意識は、過去へ遡っていく……。




 タオルは湯船に入れないで




「慰安旅行に行きませんか?」

 ガーディアンズとの共同任務を終えた帰り、シップの中でルミアがそう切り出した。
 ソウジが問い返す。

「慰安旅行?」
「そうです。ソウジさん、温泉にでも行って日々の疲れを癒しませんか?」

 顎を引いて上目遣いでソウジを見つつ、そう提案するルミア。
 端から見れば、後輩が勇気を出して先輩をデートに誘っているようにも見えた。

 が、ソウジは斜め上を見つめながら考え事をしている為、そんな媚びるような態度には露程も気づかない。
 それに気付いているのに、尚続けるルミアのガッツだけは相変わらず大したもんだと思う。

「うーん、そうだな。来週なら木金土と休めるな。その間で良ければ」
「本当ですか!? それじゃあ私もそれで予定を詰めますね!」

 目の前でトントン拍子で決められていく旅行へのプラン。
 って!

「ちょっと待ったぁ! ソウジへの話なら、あたしを通してくれないと困るわ!」
「お前はいつから俺のマネージャーになったんだ……?」

 ソウジの疑問は華麗にスルーし、ルミアに詰め寄ろうとするも、ルミアは余裕の表情で言う。

「そんな焦らなくても大丈夫よ。あなたも誘うつもりだったもの」
「ぅえ?」

 頭の中が、一瞬パニックになる。

 温泉にソウジを誘った。これは良い。いや、良くはないけど行動としては分かりやすい。
 だけど『あたしも一緒に』って言うのはどういうわけか。
 それこそフリーミッションでもあの手この手でソウジと二人きりになろうと画策するルミアなのに。
 旅行と言うそれこそおいしい機会に、あたしまで誘うと言うのが腑に落ちない。

 ……っ! まさかこれは罠?
 旅行へ一緒に行くと誘導しておいて、当日はあたしだけ別の集合場所を教えるとか?!
 疑心暗鬼に陥るあたし。理解できない出来事は、時に人を狂わせる――。

「まぁ、たまにはいいじゃないか」
「ソウジ……」

 きっとソウジはあたしが温泉に行くか否かで悩んでいるように見えたのだろう。
 間違ってはいない、間違ってはいないんだけど……!

「ここ最近はずっと部屋に閉じこもりっきりで研究の仕事してて、終わったと思ったらすぐに今回の仕事だろ?
 たまには休みもとらないと、その内パンクするぞ? それともなんだ? 何かどうしてもいけない理由とかあるのか?」

 まさか「ルミアが怪しいから悩んでる」とは言えまい。

「ない、けど」
「なら、行こうじゃないか。お前が来ないと寂しくて死んじゃうぞ?」

 そう、冗談交じりに笑顔で言われてしまえば、あたしに否定する余地はなかった。
 ルミアの方から凄い視線を感じるけど、全力で無視する。

「……うん」
「よし、決まりだ! ところでルミア、旅館の当てはあるのか?」
「え? あ、はい!」

 突然話題を振られ、サッと黒い瘴気を消すルミア。
 このままいけば、いつかフォースの暗黒面に落ちそうだ。
 その時は責任を持って溶岩の中へたたき落としてあげようと思う。

「モトゥブの旅館にしようと思ってます」
「モトゥブ……? 温泉ならニューデイズじゃないのか?」
「それが最近、雪山に温泉が沸いたとかで、新しい旅館が出来たんですよ」

 ナノトランサーからパンフレットを取り出すルミア。
 そこには、旅館と思しき建物の上に、「旅館『彷徨』」と言う文字が書かれていた。
 旅館名にどこか不吉な物を感じたが、ソウジの言葉に気を取られ、その感覚はすぐに霧散した。

「場所はモトゥブの雪山か……、それも結構深いところだな。行くまでが大変じゃないか?」
「旅館なんてそれこそ年取ったお爺さんお婆さんも行くようなところでしょ? そんな大変な所にあるワケないわよ」
「そうですね、私もエミリアと同じ意見です。それに、私たちなら大抵のことは退けられると思いますし」

 決して驕りでなく、経験に裏付けされた自信だった。

「んー、ならここにしとこうか」

 そう言って通信機を取り出し、旅館へ連絡を入れるソウジ。
 相変わらずやることが早い。

 ――けれどあたし達の見通しは、あまりに甘かった。


***


 意識は再び現在へ戻る。

 あれから4日後、あたし達はいつものミッションをこなす時の装備で雪山へ入っていった。
 途中までは見慣れた風景、いつも通りに原生生物を軽く蹴散らしながらの登山道。
 しかし旅館へ行くため、一歩、いつもと違う道を辿った辺りから、雲行きが怪しくなってきた。

「これは……マズイな」

 そしてソウジがそう呟いてから、30分としない内に事態は急変する。
 吹き荒ぶ雪。突き刺さるように冷たい風。膝下まで達する積雪。崖と見紛わんばかりの急斜面。
 シールドラインのおかげで辛うじて最低限の体温さえ維持することが出来たものの。
 雪によって視界はほぼ遮られ、体力は過酷な雪の山道に奪われ、自分が一体どこにいるのかすら分からない状況だった。
 あたし達の腰に紐を巻きつけて、先導してくれたソウジがいなければ、一体どうなっていたことやら……。

「死んで氷の彫像になるのは何とか避けられたのね……」

 ポツリと呟くルミア。
 いつもなら「縁起でもないこと言うな」とツッコむところだけど、今回ばかりはツッコめなかった。
 真の極限状態にあって、その言葉はあまりにもリアリティを伴い過ぎていた。

「まさか旅館への道中で死にかけることになるなんて……」
「これが自然を舐めた罰ってことかしらね……」

 呟き合うあたしとルミア。
 ――金輪際、自然を舐めるようなことだけはすまい。
 言葉はなくとも、ここにいる全員が抱いた共通の決意であった。

「とにかく、入ろうか……」
「えぇ……」
「そうですね……」

 力なく提案するソウジに、力なく賛同するあたし達。
 再びソウジを先頭にして、旅館への残り僅かな道へ歩み始める。
 距離にすればたった数メートル。その距離が、途方もない距離に思えた。


***


 暖簾を潜ると、待機していたのか旅館のスタッフがあたし達に駆け寄ってきた。
 すぐさまタオルで包まれ、ロビーに用意されていたストーブの前に誘導される。
 ちなみに腰に巻いて繋いでたロープは、暖簾を潜る前に解いておいた。

 シールドラインのおかげで凍死せずに済んだものの、寒気が辛かったことは確かで。
 久々の温もりにあたしはこの世に天国があることを知った。
 隣のルミアの真っ白だった頬には朱が差し、能面のようだった顔にようやくホッとしたような表情が浮かんでいた。
 恐らく、あたしもルミアと同じような感じになっているのだろう。
 仲居さんが熱いお茶を持ってきてくれて、それを飲んで人心地ついた頃、一人受付に向かっていたソウジがやってきた。

「二人とも、落ち着けたか?」
「うん、やっと一息ついたって感じ」
「お茶の温かさが体に染み渡りました……。ソウジさんも、どうぞ」
「おっ、ありがとう」

 そう言ってルミアの湯のみを受け取り、口にするソウジ。
 渡す際、絶妙に飲み口を回転させていたのを、あたしは見逃さなかった。

「ふふふ、間接キスです……」
「あんた……」

 両手で頬を包みながら、夢見るような目でそう言うルミア。
 ……あれだけの目に合って、まだそんなことするだけの気力が残ってるんかい。

 普段なら怒る場面でも、今ではその逞しさに呆れ半分、関心半分。

「本当に生き返るな……、っと。部屋の準備はもう出来てるそうだ。いつでも行けるらしいけど、どうする?」
「あたしは大丈夫よ」
「私もです」
「よし。それじゃあ、お願いします」
「はい」

 そう言って声をかけた先には、一人の女性がいた。
 種族はニューマン。淡紅色の着物を身につけている。
 年齢は多分お母さん位で、何と言うか凄く淑やかな雰囲気の人だった。
 あたしとルミアの「誰?」と言う視線に気づいたのか、優しげな笑みを浮かべながら言う。

「女将のコトネと申します。本日は遠路はるばるお越しくださいまして、誠にありがとうございます」
「あっ、はい」
「ど、どうも」

 そう言って頭を下げるのを見て、ついつい追従してしまうあたしとルミア。
 顔をあげると、女将さんは再び優しげな笑みを浮かべながら、言う。

「これからお部屋までご案内をさせていただきます」


***


 あたし達が案内されたのは、畳張りの10畳ほどの部屋だった。

「どうぞ」

 開いた扉の横に座った女将さんに促され。
 あたし達はそれぞれ、細長いテーブルを挟んで2枚ずつ置かれた座布団に座る。
 左奥からあたし・ルミアの順で肩を並べて座り、ソウジは右奥のあたしと向かい合う位置に座った。
 ルミアが少し恨みがましい視線でこちらを見つめてきたが、気にしないことにする。

 視線を左に向けると、窓際のところにテーブルと椅子が向い合って2つ置かれている。
 丁度テーブルと椅子が置かれた辺りから、床が畳張りからフローリングに変わっていた。

「それでは、これからのご予定を説明させていただきます」

 扉の近くで正座をした女将さんが、簡単に今後の予定を説明し始めた。
 あたしとルミアは右、ソウジは左に体を向け、話を聞く姿勢をとる。

 夕食は19時に1階の宴会室で振る舞われること。
 朝食は明日8時、宴会場にて。
 チェックアウトは同日朝11時であること。

「また温泉は一階、玄関から入って右の通路を行った所にございます。
 タオル等は衣装棚に袋詰めでご用意しておりますので、後ほどご確認くださいませ」

 そこまで説明すると、「他に何かご質問はありますか?」と問いかける女将さん。
 ソウジは僅かに考える素振りを見せると、答える。

「そうですね……、今のところ特に無いです」
「分かりました。もし何かあれば、そちらのお電話でロビーまでご連絡ください」

 テーブルの上に置かれた電話機を右手で示すと、女将さんは言う。

「以上で、私からの説明は終りとなります。それでは、本日はごゆるりとお寛ぎ下さいませ」

 三つ指をついて丁寧に頭を下げる女将さんを見て、反射的に同じく頭を下げるあたし達。

 ……が、どうしたことか、女将さんは部屋から出ない。
 顔を上げた女将さんは、それまでと少し違った様子だった。
 一仕事終えたからだろうか、その瞳からは先程までの淑やかな雰囲気は幾らか消え、好奇の色が含まれている。

 ――ゾクリと、背筋に何かが走る。

 何か、嫌な予感がする。例えるならソウジの話をする時のお父さんのような……。
 ルミアも何やら感じたのか、身構えている。

 そんなあたし達の懸念など露知らず、女将さんはソウジへ向かって世間話をするように言う。

「そちらのお二人は、ご親戚ですか?」

 親戚……、確かに年齢やあたし達の名前から考えれば妥当なところだろう。
 だけど、何だか面白くない。

「いえ、仕事の同僚です」

 ……続くソウジの返事はもっと面白くない。
 仕事の同僚て、他にもっと言いようはなかったのかこいつは。

「ふふふ、実はこんy」
「言わせないわよ!」

 サラッと会話に参加しようとしたルミアに跳びかかって阻止する。
 部屋の隅で揉み合うあたし達。

「な、なにするのよ!」
「やかましい! それよりあんた今、『婚約者』って言おうとしたでしょ!? じゃあ、その二人について来たあたしは何なのよ!」
「婚約者がいるにも関わらず、つい手を出してしまい、以後ズルズルと肉体関係が続いてる、みたいな……」
「ドロドロの三角関係!?」

 どこの昼ドラだ。

「って言うか、に、肉体関係を結んだ事実なんてどこにも無いわよ!」
「大丈夫、あなたとソウジさんなら例え関係があったとしても見逃してあげるわ。だって友達じゃない。――本妻の座は渡さないけど」

 ルミアの顔はそれはもう慈愛に満ち溢れていた。
 ……一つ、決着をつけておく必要がありそうだ。

「――えぇ、二人とも自分の教え子で、今日は慰安旅行に来たんですよ」
「あらまぁ、そうなんですか」

 ワリとすぐ手前で揉み合っているあたし達のことなど何のその。
 平然とソウジと会話を続ける女将さん。単に『淑やかな人』と言う認識は改める必要がありそうだ。
 ソウジが平然としてるのは……。慣れ……、なんだろうなぁ……、やっぱり。

「……ですけど」

 ――不意に、空気が変わった気がした。

「こんな可愛い女の子二人と同じ部屋だなんて……。お兄さん、今夜は大変ですね」

 妖艶な、笑みだった。
 形の良い唇が釣り上がり、濡れた瞳が扇情的なそれを見て。
 頭の中でその言葉の意味を解すより先に、本能がその意味を理解した。

 瞬間、全員が固まった。
 あたし達は揉みあった姿のまま(あたしが上でルミアが下)で固まり。
 あのソウジですら、正座をしたまま固まっている。

 チラリと、女将さんがあたしとルミアへ視線を走らせる。
 「――お膳立てはしましたよ」。不意に、そんな声が聞こえた。
 女将さんは「ごゆっくり、お寛ぎくださいませ」と頭を下げると、今度こそ部屋を後にした。

 部屋に漂う何とも言えない空気。
 あたし達も席に戻り、何も言えないでいる。

「お、温泉に行こうか?」
「そ、そうですね! 行きましょう! 温泉!」
「そ、そうね! やっぱ温泉よね!」

 あたし達は、温泉道具を各々持ち寄ると、飛び出すように部屋から出て行った。
 そりゃもう、露骨なまでに無理矢理テンションを上げていた。


***


「ふぃ〜……」

 あたしは温泉に肩まで浸かりながら、息を吐く。
 タオルは折りたたんで頭に乗せている。

「おじさん臭いわよ、エミリア」

 タオルで横顔の汗を拭きながら、あたしの隣でそう言うルミア。
 腰まで下りた長髪を後ろで巻き、胸元まで湯に浸かり、白い肌をほんのり赤く染めている。

「いいじゃない、どうせあんたとあたしの二人しかいないんだし」

 女将さんから話を聞いたところ、何でも今日の宿泊客はあたし達しかいないらしい。
 元々シーズン的に客足が少なく、そこに天候の悪化が重なったことで、キャンセルが続出したそうで。
 一応、旅館側もキャンセルが無いと言うことであたし達を受け入れる準備はしていたものの。
 まさか本当にこの悪天候の中やってくるとは思っておらず、あたし達の姿を見たときは心底驚いたそうだ。

「分かってないわねー、普段の行いって言うのは知らず滲み出すものなのよ?」

 ルミアはそう言うけど、出てしまうんだからしょうがない。

 ――生まれて初めての温泉は、思っていたよりずっと気持ち良かった。
 湯の中へ全身の疲れが溶けていくような、そんな感覚がたまらなく心地いい。

 空を見上げると、月が出ていた。
 朧気に雲がかかったそれはどこか幻想的で、思わず目を奪われる。
 雪も風も既に、止んでいた。

 ふと横を見れば、ルミアも同じように月を眺めている。
 その目は、いつになく優しい色をしていた。

「月、綺麗だね」
「そうね」

 所々に生えている木々や、積み上げられた石の上には雪が積もっていた。
 そんな寒い中、温かいお湯にぬくぬくと浸かる。それだけでも凄く贅沢なことだと思えるのに、月見まで出来てしまうのだ。

「温泉……いいかも」

 すっかり温泉の虜になったところで、ふと、あたしは考える。

 男一人に、女二人で同じ部屋。
 さっきは動転したけれど、状況だけ見れば、女将さんからああ言われても仕方ないだろう。
 あたしやソウジが、あまりにもそこら辺に対して無頓着すぎるのがいけなかったのだ。
 ……ルミアの場合、分かった上で意図的にセッティングしそうだけど。少なくとも今回は違ったようだ。
 しかし女将さんのあの笑み……。妖艶さにも驚いたけど、何よりあのソウジを色恋沙汰で戸惑わせるなんて凄い。

 ……まっ、何にしても、別に一緒に寝るくらい大したことじゃないでしょ。
 泊まり掛けのミッションで何度か雑魚寝とかやってたし。あいつに限って、そんな疚しいことは考えてないと思うしね。

 ――それってつまり女として見られてないってことなんじゃ。

 不意に頭を過ぎった不穏な考えを、頭を振って払う。
 そんな馬鹿なことは無い……、無いったら……、無い……はず。

 じ、自分で言うのも何だけど、あたしの顔の造形は決して悪くないと思う。
 スタイルだって十分魅力的だし……、――チラッと、視線をルミアの体に走らせる。
 ……確かにルミアと比べれば少し太り気味なところはある。そこは認めましょう、えぇ。
 だ、だってしょうがないじゃない。研究の仕事はどうしても部屋に篭ることが多いんだし……。
 けど、全体的に見れば決して負けては……。そ、それに、胸の大きさでは間違いなく勝ってる!
 毎晩寝る前にやってるマッサージの成果は着実に出ているみたいだ。ありがとうチェルシー!
 男の人は大きい方が好きだって言うし、そこを強調して迫ればあいつだってきっと……。

「……さてと、私はそろそろ出ようかしら」

 あたしが一人悶々としていると、ルミアが湯船から上がる。
 火照った肌をタオルで覆いながら、カランへ向かおうとした、矢先だった。

 ガラガラとドアの響く音。
 誰かが来たらしいが、湯気でよく見えない。

 「他にお客さんいたんだ」と呟くより先に、入ってきた人が呟いた。

「……二人はもう出てる、よな?」

 聞き覚えのある声。湯気の向こうから露になるシルエット。
 そこには腰にタオルを巻いたソウジの姿があった。

「〜〜〜〜!!?」

 何事かと混乱に陥るあたしの手を、ルミアが引っ張った。
 近くにあった大きな石の後ろに引っ張り込むと、叫びかけたあたしに向かい、口の前に人差し指を立て、「しーっ」と言った。

 壁にした石の左側から、こっそりと顔を出して覗き込むルミア。
 あたしもそれに倣い、ルミアの上からソウジの様子を見る。

 出入口のすぐ側には、カランが設置されている。
 ソウジはその前に置かれた風呂椅子に座ると、まず桶にお湯を注ぎながら、呟く。
 浴場は声がよく響く。

「まさかここが混浴だったなんてなぁ……、直前で気づいてなけりゃ危ないところだった」

 衝撃の事実に再び「えー!」と声を上げそうになったが、両手でグッと押さえる。
 どこで気づいたのかは知らないが、先の口ぶりから、きっとどこかで時間を潰していたんだろう。

 ただソウジの考えている以上に、あたし達の入浴時間が長かったのだ。

「どうするルミア……。このままじゃ出られないわよ? ……ルミア?」

 返事をしないことを訝しみ、顔を覗き込む。
 するとそこには、食い入るようにソウジの裸体を見つめるルミアがいた。

「あ、あれが教官の……」
「うわぁ……」

 目を血走らせながら、息荒くソウジの裸体を見つめているルミアの姿にドン引きする。

「く……! 湯気が邪魔で見えないわ! DVDでは薄くして売りにするつもりね……! 本当に阿漕な商売だわ……!」
(商売って何の話!?)

 石の後ろに引っ張られたときは咄嗟の判断力に思わず関心したってのに……。
 単に見たかったから隠れただけだったなんて……。思わず頭を抱える。

「ハァハァ……ソウジさん……」

 あっ、鼻血が垂れてきた。
 どれだけ興奮してんのよ……と思ったら倒れてきたー!?
 どうやら興奮がピークに達したようだ……って言ってる場合じゃない!

「ちょっ……! ルミア……!」

 ルミアの体を後ろから支えながら、混乱しそうになる頭をどうにかフル回転させようとしたら今度はわー! ソウジがやってきたー! タオルを巻かずに肩にかけてるー! 湯気で見えないけど! っていうかルミアの鼻血がヤバイことに!? とか言ってたらソウジが鼻歌歌いながら湯船にー! わー!


***


「うー、死ぬかと思った……」

 脱衣所の鏡の前で、椅子に座って髪を梳かしつつボヤくあたし。
 普段着は洗濯サービスに出し、旅館側が用意した淡青色の浴衣を着ている。

 ――結局、あのまま石の裏に隠れて、ソウジが温泉から出るまで凌いだ。
 危ないところだった。もし、あれから数分足らずでお風呂から出て行ってくれなかったら、脱水症状で倒れていたかもしれない。

「もう、ちゃんと反省してよね」
「面目ないです……」

 あたしはジト目で同じく椅子に座って横にいるルミアを見ると、素直にすまなそうな顔でそう言った。
 ルミアはアップにしていた長髪を下ろし、同じく淡青色の浴衣を着ている。

 ……凌いでる間も大変だったけど、それ以上に気絶したルミアを脱衣所に運ぶまでが本当に大変だった。
 両脇に腕を回して引っ張り、デコボコしたタイルや脱衣所に入る際の段差に引っかからないように気を使ったり。
 仰向けになってるにも関わらず、少しも垂れないのに嫉妬したりと(何が、とは聞かないで欲しい)、それはもう大変だった。
 脱衣所に着いた後は、簡単に鼻血を出してた鼻の穴にティッシュを詰めて、バスタオルで扇いだ結果、ようやく目を覚ましたのだ。

 目覚めて意識がハッキリすると、タオルも巻かず、不機嫌そうな顔で仁王立ちしているあたしを見て。
 即座に状況を察したルミアは、本気でバツが悪そうな顔をしながら「すみませんでした……」と深く頭を下げたのだった。

 何はともあれ脱衣所から出たあたし達は、出てすぐ右手にある待合所にて、大きな椅子に座った浴衣姿のソウジを発見した。
 実質10分と入浴してないソウジに申し訳なさを感じつつ、早足で近づいたのだが……

「おっ、二人とも出てきたか。どうだ、気持ちよかったか?」
「うん、まぁね……って、何やってんのよ?」
「あぁ、マッサージ椅子があったから使ってるんだけどな。これが気持ちよくて気持ちよくて……」

 「気持ちよくて」を強調するだけあって、恍惚の表情を浮かべながら答えるソウジ。
 ……あんな締まりのない顔は未だかつて見たことがなかった。

「ソウジさん……まだお若いのに、そんな椅子にハマってしまうほどの激務なんですね……。
 いっそ傭兵業なんて辞めて、ガーディアンズに戻りませんか?」
「ドサクサに紛れて何言ってんのよ!」

 サラリと引き抜きを持ちかけるルミア。
 「およよ」とワザとらしく泣き崩れる仕草までしてるのがまた何とも癪に障る。

「いや、忙しさの度合いで言えばガーディアンズも大概……ゲフンゲフン! いや、それより、これからどうする? 夕飯までまだ時間はあるぞ?」

 どこか遠い目で何やら呟いたと思うと、これまたワザとらしく咳払いをして話を変えようとするソウジ。
 何を言ったのか問い詰めたいところだったけど、とりあえずこれに乗っておくことにした。

「んー、そうねぇ……。時間まで売店でお土産でも見てる?」
「いいわね。私もお兄ちゃん達に何か買っていかないといけないし……」

 ルミアも元より本気じゃなかったのか、あっさりとその流れに乗った。

「よし、それじゃあ売店に行こうか」
「「おー」」

 右腕を掲げて答えるあたし達。
 ……内心、生まれて初めてお土産を買うことにワクワクしていたのは秘密。

「あっ、そうそう」
「なんですか?」
「なによ?」
「浴衣。似合ってるぞ、二人とも」
「「……っ!」」

 あたし達、赤面。


***


 お土産を購入し、店頭で包装して貰ったあとナノトランサーへ収納。
 時間が来たので、夕食を食べに宴会室へ。

「夕食は何が出るんでしょうね?」
「楽しみだな」
「そうね」

 会話をしつつ暖簾をくぐると、横へ広がる通路を挟んで、引き戸が並んでいた。
 その内の一つ、縦書きで「ウェーバー様御一行」と書かれた紙の貼られた部屋へ入る。
 畳張りの個室の中、テーブルを挟んで泊まってる部屋と同じ配置で席に着くあたし達。

「またこの位置……」

 ルミアの呟きは華麗にスルーした。
 遅れて女将さんがやってきて、通路に置かれたカートから、食べ物をテーブルに置いていく。
 どれも見たことのない食べ物ばかりだった。あたし達は次々に箸を伸ばしていく。

「この唐揚げ美味しい!」
「そちらはラプチャの唐揚げでございます」
「女将さん、このお刺身は何です?」
「ル・ダッゴの刺身となっております」
「この肉は何ですか?」
「バーベラスウルフのロース肉になります」
「それじゃあ、これは?」
「ラッピーの竜田揚げでございます」
「「「……」」」

 さ、最後はともかく。雪山に生息する原生生物達を食材にしたメニューの数々は、どれもとても美味しかった。
 またレバーやニンニクと言った癖の強い物や、妙にネバネバした食べ物が多かったりして少し食べづらかったりしたものの。
 あたしは勿論、ルミアやソウジも「美味しい美味しい」と舌鼓を打っていた。

「これで今晩は頑張れますね」

 やたら艶やかな声で女将さんが何か言っていたものの、ご飯を食べるのに忙しくて聞こえなかったが、本当に聞こえなかったが。
 食事が終わると、何故か温泉からあがった時よりも体が火照ってるのを「フシギダナァ」と思いつつ、部屋へ戻った。


***


「……まっ、予想はしてたけどね」

 目の前には布団が3つ。
 出入り口から見て横向きで縦に並べられ、どれも隙間なく、ピッタリとくっつけられている。

「部屋に戻る時、妙にニコニコしてるから怪しいとは思ってたけど……」
「女将さん、グッジョブです」
「え?」
「……〜♪」

 露骨に目を逸らすルミア。
 口笛を吹いて誤魔化してるつもりだろうけど、息を吐く音しかしてないわよ。

「……あー、とりあえず離しとくか?」
「何でですか!?」
「いや、これじゃあ夜お手洗いに行く時とか不便だろ……?」

 さすがソウジ、さっぱりこの配置の意図に気づいてない。
 と言うかルミア、あんたは何でそんな食いついてんのよ。

「ダメです! せっかく旅館の人たちが好意で並べてくれたんですから、それを尊重すべきです!」
「そ、そうなのか? まぁ俺は別に構わないが……、エミリアは大丈夫か?」
「え? あたし?」

 正直に言えば、揺れてる。
 これがあたしとソウジだけの時ならOKなんだけど……、べ、別にやましい意味じゃないわよ?
 雑魚寝とかの経験もあるし、ソウジは手を出さないと信用してるからだ。

 ただルミアがどう動くのか、それが未知数で……いや、ごめん、考えるまでもなかったわ。
 ルミアの瞳の奥、鈍くギラギラと輝く光を見れば、何を考えているのかは想像するまでも無かった。
 間違いなく"ヤ"るつもりだ。脳裏に浮かぶは、肉食獣が呑気に惰眠を貪ってる草食獣を捕食する瞬間。

 そこから考えれば、別に隣り合ってることはあまり重要ではないと思う。
 ルミアにとってほんの数センチ離れてるくらいのこと、『夜を共にする』って言う絶好のチャンスの前では大した障害ではないだろうし。
 むしろ問題があるとすれば、そこではなく"先"にあるだろうと考える。だからあたしは答える。

「うん、いいわよ」
「そうか、それじゃあこのままでいこう」

 ガッツポーズを取るルミア、気付かずソウジは続ける。

「で、誰がどの布団で寝る?」
「「あたし(私)は真ん中がいい(です)」」

 ――やはりそうか。

 あたしを中央に寝かせるのは、考えるまでも無く論外だろう。
 ソウジを中央に寝かせれば、手を出しやすい一方であたしの妨害も受けやすくなる。
 しかし自らが中央になればソウジを独占する形となるし、仮にあたしが妨害に来てもソウジを巻き込むことなく反撃に出れる。

 ――反撃。
 つまりルミアは、ここであたしと雌雄を決するつもりなのだ。

 戦闘力に関して言えば、残念ながらルミアの方があたしよりも格上になる。
 踏んだ場数にしてもそうだけど、センスからしてルミアはそこら辺の人間とは一線を画してると言っていい。
 一騎打ちは不利、となれば援軍に頼るしかないものの、現状唯一あたしが援軍を期待出来るのはソウジだけ。
 そこでルミアに中央を取られれば、位置的にソウジと分断されることとなり、援軍は望めず、あたしの敗北は確定的となる。

 よって戦略的に見て、中央の位置は何としてでも死守しなくてはならないのだ。

「あらエミリア、真ん中なんて不便よ? 端にした方が良いんじゃなくて?」
「それはお世話様。だけどあたしは真ん中がいいの、譲ってくれるわよね?」

 お互い口元には笑みを浮かべつつ、しかし瞳は笑っていなかった。
 瞬間、あたし達はバッと跳んだ。
 出入口付近に立っているソウジから見て、布団を挟んで右にあたしが、左にルミアが立つ。

 空気は張り詰め、殺気と殺気とがぶつかり合い、さながら風船のように膨れ上がっていく。
 お互いに、ジリジリと右手をナノトランサーへ伸ばしていく。

 ――狙うは、テクニックによる一撃必殺。

 意識が、先鋭化していく。まるでこの世界に自分とルミアしかいないような錯覚。
 膨れ上がった殺気はいよいよ限界に近付き、いよいよ破裂の時を迎え――

「よし、それじゃあジャンケンで決めようか」

 ――なかった。

「ちょっ……!?」
「え……!?」

 ロッドを振り下ろしかけたところでかけられたこの一言に、膨れ上がった殺気は一気に抜けた。
 そう、さながら風船のように。ぷしゅーっと。

「っととー!」
「きゃー!」

 集中力が途切れたことによって、互いのロッドを纏っていたフォトンは霧散。
 振り下ろそうとした勢いだけが残り、あたしとルミアは前方、ちょうど渦中の布団へ×字を作るように折重なって倒れた。

「うおっ、大丈夫か二人とも!?」
「……」

 時折、ソウジはわざとやってんじゃないかと思う。
 仕事では殺意や敵意に敏感な癖に、どうしてオフや親しい人間のことになると途端にここまで鈍化するのか。

「馬鹿ねぇ、それがソウジさんのいいところなんじゃない。ぎゃっぷ萌えってやつ?」
「何よそれ……、って、何当然のように人の心読んでんのよ」
「フォトンの可能性は無限なのよ」

 「ふふん」と得意げに言うルミア。
 そんな「全てはプラズマで説明できます」ってんじゃないんだから……
 ……って言うか、あたしの下敷きになってるわりに余裕ね。

「ほら、二人とも大丈夫か」
「あっ、ありがと」
「すみません……」

 とか何とか言ってる内に、ソウジがあたし達二人を助け起こしてくれた。
 再び対峙するあたしとルミア。

「よし、それじゃあじゃんけんで決めちゃってくれ」
「……えぇ」
「……はい」

 返事をするあたし達。霧散していた闘志が蘇る。

 お互い、さっきと同じ配置へ戻る。
 ちなみにソウジはいつの間にか部屋の奥にある椅子に座っていた。

 ……さっきはつい我を忘れてしまったけど、冷静に考えてテクニックの早撃ちでルミアに勝てるワケが無い。
 事実、さっきルミアがあたしの下敷きになっていたことからも、先にロッドを振り下ろしていたことが見て取れた。
 もしあのままソウジが声をかけなければ……、背筋に冷たいものが走るのを感じる。

 翻って見て、じゃんけんは純粋に運のみが勝敗を左右する。
 負ける可能性はある、けれど、勝つ可能性も同じ確率で存在するのだ。
 またソウジが提案したと言うことで、仮にルミアが負けてもそれを反故することはあり得ない。

 これはあたしにとって、最大最後のチャンスだ。
 絶対に、勝たなければならない。

 ルミアを見れば、手を組んで捻り、手と手の間を覗き込んでいる。
 何かの願掛けだろうか、その顔は真剣そのものであった。
 やがて願掛けを終えたルミアが、こちらを見据える。

「――はじめましょうか」
「――そうね」

 お互いに右手を顔の高さに掲げる。

「最っ初はっ……」

 お母さん……。

「ぐーっ!」

 お父さん……。

「じゃんっ!」

 チェルシー……。

「けんっ!」

 そしてミカ……。

「ほいっ!」

 力を、貸して――!























 あたしが出したのは、パー。
 ルミアが出したのは、グー。

 あたしの、勝利だった。

「そん……な……」

 よろけるルミア。
 その表情には、驚愕が張り付いている。

「私が、負けるだなんて……」

 現実を信じられないと言った表情を浮かべるルミアに、あたしは言う。

「無様ね、ルミア」
「……っ!」

 キッとこちらを睨みつけるルミア。
 だが怯むこと無く、続ける。

「いつものあんたなら、この敗北は十分予見出来たハズよ。まさかそこまで目が曇ってたとはね」
「……どういうこと?」

 挑むような視線でこちらを見据えるルミア。
 あたしは瞳を逸らさず、答える。

「あんたは己の欲望のために戦った。あたしは守るために戦った……。この意味、あんたになら分かるはずよ」

 驚愕は怒りに。怒りは愕然に。そして愕然は絶望に染まる。
 かつて人々の思いを背負って戦った彼女には、その言葉は実感を伴い、刃のごとく突き刺さる。

 膝から崩れ落ちるルミア。瞳からは光が失われ、髪のセットも崩れ、顔にかかる。
 ――これで、ルミアが立ち上がってくることは無いだろう。少なくとも今日一日は。

「よし、これでエミリアは真ん中で決定だな」

 相変わらず何事も無かったかのようにそう言うソウジ。
 ……慣れすぎるってのも考えものだと思う。


***


 その後、残りの寝場所を決めた。
 あたしを真ん中にして、左の窓際をソウジ、右の出入り口側をルミアだ。

 しばらくお茶を飲みながら談笑して過ごしていると、不意に時計を見たソウジは言う。

「22時か……、今日は疲れたし、もう寝るか。二人で先に洗面所使っていいぞ」
「……(コクリ)」
「ルミアが先でいいわよ」
「……(コクリ)」

 まるで水のみ鳥のように頷くだけとなったルミアは、立ち上がって洗面所へ向かう。
 音もなく立ち上がる様と、生気を失った顔色が、まるで幽霊みたいで恐ろしい。

「何か調子がおかしいけど……、大丈夫だろうか」

 ルミアを心配するソウジ。

「大丈夫だと思うけど……、あんな狭い洗面所で何かトラブルなんて……」

 直後、洗面所から何かを落とす音がした。

「……ちょっと見てくるよ」
「……うん、いってらっしゃい」

 とりあえずソウジを見送ると、先のルミアとのやりとりでグチャグチャになった布団を直すことにした。
 ふと視線を向けた先、あたしはそれを見つけた。
 布団の上、ティッシュの箱の横にこっそりと置かれた、「超うすうす」と書かれた小さな箱を。

(あの女将さんは……)

 あたしは呆れつつ、それを気なく手に取り、屑籠へ入れるフリをして懐に入れた。
 まったく……、あの女将さんには自重して欲しいものだ。

 ……いや、屑籠に入れて後から拾われても困るじゃない?
 別に「念のため」とか、そんなことは露程も考えてない。ないったらない!

 ………………ごめんなさい。


***


 朧気に、四角い輪郭が浮かんでいた。
 部屋の天井に設置された、電灯の一つだった。

 ――暗闇に包まれた部屋の中。
 あたしは布団の中に入りつつ、しかし瞳はバッチリ冴えていた。
 雪山を踏破してきたことによる疲労は間違いなく感じているのに、何故だか眠気がさっぱり沸かないのだ。

「はぁ……」

 小さく、ため息をつく。
 原因は、恐らく夕食だろう。

 あまり料理には詳しくないけど、それでも精のつく食べ物の幾つかくらいは知ってる。
 それら全てが並んでいたことを考えれば、更に精のつく食べ物があったことは想像に難しくない。
 もっと言えば女将さんのあの思わせぶりな発言からして、明らかに『狙って』いたのだろう。

 ……にも関わらず。

「この二人はどうして眠れてるのよ……」

 左右から聞こえる寝息。

「すぅー……すぅー……」
「そうじさぁん……ふふ……そこは……ダメですよぉ……」

 ソウジは静かに寝息を立て、一方でルミアは何か寝言を言ってる。
 うん、どんな夢を見ているのか、実に分かりやすいわね。
 いっそたたき起こしてやろうかとも思ったが、下手に起こして夢の内容を実行に移されても困るのでやめておく。

 ……とにかく、目を瞑って眠れるように努めよう。
 明日は早いし、疲労を翌日に持ち越すのもマズイ。
 確か寝れない時は何かを数えるといいのよね。何だっけ、確か……。

「えー、コルトバが一匹……二ひ……ひゃっ!?」

 頭の中でコルトバを数え始めた矢先、右側の布団……あたしから見て左側にいるルミアが抱きついてきた。

「ちょっ……、何やって……」
「ソウジさぁん……、ふふふ……、大丈夫……、わたしがリードしてあげます……」
「〜〜!!」

 そう言ってあたしの胸に手を這わすルミア。
 抵抗しようとするも、直後、胸に甘い刺激が走る。

「や、嘘……なにこれ……?」
「ふふ……敏感、なんですね……」

 未知の感覚に一瞬流されかけるも、即座にハッとする。
 こ、このままでは何か、何か大切な物を失ってしまう!

 ソウジには悪いけど、ここは一つ起きてもら……わっ!?

「ちょっ……ソウジ……!?」

 今度は右側からソウジにだ、だだだ抱きつかれたぁ!?

「や、やめ……」
「……嫌なのか?」

 身じろぎすると、ソウジは困ったような声色でそう言う。
 まさか起きて――

「いつもならお前から潜り込んでくるのに……、どうしたんだカンナ」

 ――は?

 ちょっと待って、カンナってえ? いつもこうやってる? え?
 どういうことかと思わずソウジに詰め寄ろうとしたその時、ルミアの手が動く。

「もう、ソウジさん……、どこ行くんですかぁ……」
「やっ、ちょ、……んぅっ」

 自分でも聞いたことのないような、甲高い声が口から出た。

(なにこれなにこれなにこれなにこれ……!)

 胸を這い回るルミアの手が、浴衣の中に侵入してきた。
 布の上からであれだけ感じたのに、直に触られなんかしたら……!

「ふふ、今夜は寝かしませんよ……」
「お前はあったかいなぁ……」

 右からはソウジが抱きしめ。
 左からはルミアが胸を攻め立てる。まるで焦らすように。

 頭の中は混乱し、錯乱し、オーバーフロー寸前。
 あたしに出来るのは、少しでも身動ぎをして、僅かでも抵抗の姿勢を見せることだけだった。


***


「……」

 翌朝、洗面所の鏡に映ったあたしの顔は、それはもうひどいものだった。
 目の下には濃い隈が浮かび、頬は痩け、ゲッソリとした輪郭になっている。

「え、エミリア、一体どうしたんだ?」
「ちょっと明け方まで寝れなくてね……」
「もう、夜寝れないなんて自己管理が出来てない証拠よ?」

 そんなあたしを素直に心配してくれるソウジと、何やら人を昼夜逆転者の如く扱うルミア。

「……言っとくけど、寝れなかったのはあんたのせいでもあるんだからね」
「? 私のせい?」

 ジト目に怨念を込めて見つめるあたしに、困惑顔のルミア。
 よっぽどあたしはひどい顔をしているのか、少し引腰だ。

 ――正直、本当に危ないところだった。
 何とかギリギリのところで凌ぎ切ったけど、もしあれから更に踏み込まれていたらと思うと……。
 朦朧とする意識の中で、下半身へ伸ばそうとするルミアの手を必死に押さえ込めたのは、我ながら本当によくやったと思う。

 次に、ソウジの顔を見る。
 自らに向けられたジト目にソウジもまた困惑顔だ。

「……毎晩、あの子と一緒の布団で寝てたのね」
「え? どうしてそれを……」
「あ、あの子って誰ですか!?」

 あたしの言葉に驚くソウジに、食って掛かるルミア。
 それを横目に、あたしは脳裏にその姿を思い浮かべる。

 緑色を主体としたロングスカート一体型の服を着た、青髪のボーイッシュな少女。
 常に敬語を欠かさず、まるで男の子のような喋り方だった。
 型番はGH-440。正式名称はパートナーマシナリー、通称PM。

(そんなソウジのPMである彼女のパーソナルネームは……カンナ)

 ――あの子が、毎晩ソウジのベッドへ潜り込んでいる。

「ソウジさん! あの子って誰ですか!」
「誰も何も、お前も知ってる」
「私もしってる……? くぅ! エミリア以外にもソウジさんを狙ってる人がいただなんて!」
「俺にはお前が何を言ってるのかが分からないよ……」

 そんなやりとりを背に受けながら、あたしは窓際に寄る。
 視界に広がるは一面の銀世界、灰色をした空を見つめながら、呟く。

「……まさかの伏兵、ね」





 〜あとがき〜

 本当は裏ページ用に書いてた作品だったりします。
 初の3P描写に挑むつもりでしたが、いかんせん官能描写へのモチベーションが沸かず見送りました。


 


2010/04/26改訂

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