一週間に渡る研究の仕事明け。
 あたしは靴音を立てながら、ルームフロアの通路を歩いている。

「うーん……」

 両手を上げ、長いデスクワークで縮こまった体を伸ばす。
 動きに合わせて、ポキポキと骨が鳴る。大分運動不足みたいだった。

「こういう時はやっぱり簡単なミッションでもこなすに限るわね」

 一人でやってもいいんだけど、出来ればあいつと一緒にやりたかった。
 何せパートナーだし。一人じゃ寂しいし。……しばらく顔合わせてなかったし。

 目的地であるあいつの部屋の前にたどり着くと、自分が少し緊張していることに気づいた。
 何だかんだで1週間も顔を合わせなかったのは初めてだったことに、今更ながら気づく。

(何緊張してんのよ、あたし。あいつはパートナーなのよ)

 心の中で自分を叱咤すると、扉の横にある開閉ボタンに指を当てる。
 あいつは部屋にいる時、鍵はかけない。
 だから開けばいるし、開かなければいない。

 深く息を吸うと、ボタンを押す。

 右へスライドして開く扉、鍵は締まっていない。間違いなく部屋にいる。
 未だ抜けない緊張を誤魔化すように、声を張り上げる。

「ソウジー! い」
「おかえりにゃさい!」

 が、あたしを出迎えたのは、頭にネコ耳を付けたルミアだった。




 パスワードは「222(にゃんにゃんにゃん)」




「あっ、もしもしガーディアンズですか? 部屋に不審人物が……」
「や、やめて!」

 グラールで暮らす市民の義務として、目の前にいる不審者を通報しようとしたところ、抱きついて阻止された。

「えーい! 離せー!」
「離しません!」

 ソウジの部屋の床上で、通信機を巡って揉み合うあたしとルミア。
 あたしは語気を強めて言う。

「大体あんた何でソウジの部屋にいんのよ! ちゃんと許可貰ってるんでしょうね!?」
「あ、当たり前じゃない! 私ならドアをハッキングして部屋に侵入して4時間くらい待ってたってあの人は許してくれるハズよ!」
「……つまり許可は貰ってない、と」

 それどころか全力で犯罪を自白。
 かつての誇り高いルミアはどこへ行ってしまったのか。
 あまりのダメダメっぷりに思わず肩から力が抜けるのを感じた。

「……! 通信機は頂いたわ!」
「うん、もう何だっていいわ……」

 あたしから通信機を引ったくって勝鬨を上げるルミアを前に、あたしは力なく頭を垂れるしかなかった。


***


「それでルミア。何であいつの部屋にいたのよ。それにその……何でネコ耳?」

 質問するあたし。

 ちなみに揉み合いのあと、立つ気力も萎えたのであたしは床へ直に座っている。
 足を左右に開いて八の字にした姿勢、所謂「女の子座り」で、ルミアはもう少しお淑やかに正座を崩したような座り方だ。

 最近ソウジはエクササイズに凝ってるそうで、部屋が体育館みたいになってる。
 おかげで床へ直に座ることにあまり抵抗が無かった。

「ふふ、エミリア。あなたもしかして今日が何の日か知らないの?」

 不敵な笑みを浮かべ答えるルミア。
 だけど頭につけた白いネコ耳のせいでさっぱり決まらなかった。

「2月22日だから……食器洗い乾燥機の日?」
「それじゃないわよ……、っていうかよくそんなの知ってるわね」

 ビバWikipedia。

「答えは『2(ニャン)・2(ニャン)・2(ニャン)』で猫の日よ」
「へー、そうなんだ」

 ルミアの知識に素直に感心する。

「でも、それが何でネコミミなの?」
「あら、そんなの決まってるじゃない」

 再び不敵な笑みを浮かべるルミア(ネコミミ装備)。
 バッと立ち上がる。

「記念日にかこつけてあの人を誘惑するのよ! ネコ耳つけて甘えた声で『おかりにゃん』とか言っておけば、大抵の男は一発よ!」

 胸を張って力説するルミア。
 あたしはそれを呆れた目で見つめながら、ルミアへ言う。

「っで、それは誰の受け売り?」
「……マヤさん」

 あさっての方向を見つつ、バツが悪そうにそう答えるルミア。頬を染めつつ静かに座り込む。
 「大抵の男は一発よ!」の辺りで無理してる感が有り有りだったが、やっぱり恥ずかしかったらしい。

 だけども……と、あたしはルミアへ視線を走らせる。
 腰まで伸びた茶色のロングヘア。手入れの行き届いたサラサラの髪は、清楚な印象を与える。
 一方で気の強そうな瞳が、少々取っつきにくい印象を与えるものの、鼻筋の通った端正な顔は美人と言っていい。
 そして頭に付けたネコミミ……。ともすれば「あざとい」と感じる装飾も、凛としたルミアが付けると何ということでしょう。
 ギャップが一つのアクセントとなり、何と言うか見ていて「クル」ものがある。

 これでもし甘えたような声で「おかえりにゃん」なんて言ったら……。

(案外、本当に陥落してしまうかもしれない)

 ゴクリと唾を飲み込む。
 あいつが帰ってくる前に、こうしてやってこれたのはラッキーだったかもしれない。

(この組み合わせは、危険だ……!)

 そうとなれば、ルミアからネコ耳を奪ってしまおう。

 あたしは決断すると、未だ恥らってるルミアにこっそりと近づく。
 よほどダメージが大きかったのか、あたしの接近にも気づかない。
 ネコ耳に触れると、カチューシャにネコ耳が付いてることが分かった。それをゆっくりと左右へ開く。
 「マヤさん、信じていいんですよね?」とルミアが呟いた時、思わず手を離しそうになったが何とか自制する。
 とにかく、ゆっくり慎重に外さなくては。ゆっくり、ゆっくり、ゆっく……『pipipipi!!!』

「きゃっ!?」
「うわっ!?」

 突然鳴り出すルミアの通信機。
 「なによ……」と不満げに液晶の文字を見たルミアだったが、瞬間、サッと顔色が変わる。
 あたしが驚いて飛び退いた勢いで、ネコ耳カチューシャはそのままスッポ抜けたのだが、気づく様子はない。

「ら、ライア総裁、何の御用で……え? すぐ来い? ですが……ッ!? はい! 分かってます!」

 通信機を耳に焦ったり慌てたり怯えたりとワタワタ動くルミア。
 ライア総裁ってガーディアンズで一番偉い人よね? そういや直属の部隊に所属してるとか言ってたっけ。
 あれ、それじゃあ、ルミアと同じ部隊にいたっていうソウジもライア総裁と面識が……。

 なんてことを考えていたら、通信が終わったルミアは焦った様子で立ち上がる。

「きゅ、急の仕事が入ったからちょっと行ってくるわ! ソウジさんによろしくね!」

 そう言って、慌ただしく部屋から立ち去っていくルミア。
 ……結局、4時間も待ってソウジと会えなかったんだ。

 気の毒に思いつつも、「遭遇しなくて良かった」とホッと一安心。
 ふと、右手に握ったネコ耳カチューシャへ視線が行く。
 両手で掴み、目の高さまで持ち上げる。

「これつけて甘えた声で『おかえりにゃん』って言えば男なら一発、ねぇ……」

 とは言え、あいつがこんなので落ちるとは思えない。
 さっきは気が動転したものの、幾らルミアが魅力的であろうと、こんなので落ちるならもっと前に落ちてるハズだ。
 あいつのアタックの果敢なことと言ったら、リトルウィングでもちょっとした語り草なんだから。
 あんまり露骨だから、「少しみっともないのではないか」と苦言を呈していると、おっさ……お父さんがニヤニヤしてるのが腹立つ。

 大体「にゃん」って何よ「にゃん」って、幾らなんでもそんな媚び売るような真似して、そこまで好かれたいとは思わないわよ。
 まぁ、例えば、あいつが重度のネコ好きで「どうしてもネコ耳つけた姿を見てみたい」とか言うなら考えなくともないけど……

 ……そういやあいつ、この前ペットショップの前で子猫を見つめてたような。
 まるで根が張ったみたいにその場から動かないで、2時間くらいずっと。
 いや、でも、猫が好きだからって言ってネコミミが好きとは限らないし……ねぇ?

 ドクン、ドクンと、心臓の鼓動がやけに近く感じる。
 まるで縫いつけられたように、ネコ耳カチューシャから目が離せない。

 一度だけ、試しに、一度だけ。
 別にあいつを喜ばせたいワケじゃない、ただ単に、あたしが付けてみたらどうなるんだろうって言う好奇心を満たすためにだ。
 何故なら学者にとって好奇心は欠かせない栄養素なんだから。

 カチューシャを左右に開き、頭に付ける。
 あとは鏡で確認して、それだけ、そう、それだけ。

 直後、開くドア。ビクリと飛び跳ねるあたし。
 まさか帰ってきた――?

「エミリアいるかー?」

 言葉と共に露となった人影は当然のようにあいつで、ドアの対角線上にはあたしがいる。
 自然、あいつの視線はネコミミを付けて床に座ってるあたしを見るワケで。

「チェルシーさんが部屋で待ってるって……」

 あいつの動きが止まる。
 「って」で右手を頭の後ろへ回した姿勢のまま、あたしを見て固まった。

 頬が、熱い。あまりの恥ずかしさに目に涙がたまるのを感じた。
 顔が上げられない。でもここで視線を外したら、気まずくなってしまう。
 上目遣いで、涙目で必死にソウジへ視線を合わせる。
 誤魔化さなくちゃ。何か言って、誤魔化さなくちゃ。

 焦りのままに、あたしは口を開いた。

「お……、おかえりにゃん」
「……た、ただいまにゃん」



 〆



 〜あとがき〜

 事態が飲み込めず、とりあえず真似して語尾に「にゃん」を付けてみたソウジ。


 


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