「お兄さーん! おひさしぶりなのー!」
「おう、みかんじゃないか」
「汝をライブに招待する」そうあろまが宣言してから早一週間。
すっかり姿を見せなくなったあろまゲドンの片割れが、ひさびさに店を訪れた。
あろまの姿が見えないことは気になったものの、それはさておきシドはみかんを迎え入れる。
カウンターを挟んで言葉を交わす。
「しばらく姿を見せなくて心配したぞ。なにやってたんだ?」
「あろまといっしょにライブにむけてもー練習してたの! お兄さんのためにいつもよりずっとずーっとはりきって練習してるから、たのしみにしててほしいなの!」
笑顔でそう語るみかん。
決してあろまの言葉を疑っていたわけではないが、本気で己のことをライブに招待するつもりでいるらしい。
「それでね。きょうはこれをお兄さんにわたしにきたなの! あろまからお兄さんへ招待状、なの!」
「これは……」
そういってみかんが差し出したのは、縦長のペラ紙。
シドがその表面に印刷された文字を読むより先に、みかんが口を開いた。
「プリパラの入場チケットなの!」
「にゅ、入場チケット……!?」
"プリパラは男子禁制"という大原則を、ともすれば根底から揺さぶりかねない危険な存在だった。
おののくシドだったが、続くみかんの言葉に胸をなでおろす。
「女の子が男のひとにたったいちどだけあげられるチケットなんだって! なの!」
「たったいちどだけ……」
なるほど、発行にあたって回数制限を設けることでバランスを取っているのだろう。
しかしそれはそれとして新たな問題が生じてしまった。
『プリパラ特別入場チケット』と大きく書かれた下には、発行年月日と、あろまの文字が印刷されている。
「そんな大切なもの、もらっていいのか?」
「ぜったいにうけとってほしいなの!」
真剣であることを表情でアピールするためか、眉間に力を入れるみかん。
が、そのせいで眉が八の字になっており、むしろ困った表情を浮かべているように見える。
残念ながら努力はから回っているといわざるをえないが――。真剣な気持ちはしっかりと伝わってきた。
「……わかった」
シドがチケットを受け取ると、みかんはほっとした表情を浮かべる。
「ところで、あろまはどうして来なかったんだ。直接わたしてくれればよかったのに」
「あろまはライブの日までお兄さんとはあわないんだって、なの! そうするとぜったいにライブが成功するって、予言書に書かれてたらしいの!」
「……なるほど」
大一番を前にして、なるべく誰にも会いたくない気持ちはシドにもよくわかった。
それはつまり、「それだけの準備をしているから覚悟しておるがいい」という、あろまの無言の宣言に聞こえて――。
「――楽しみだな。ライブ」
「みかんもがんばるから楽しみにしててほしいの! まだ練習しなくちゃいけないからプリパラにもどるなの! お兄さん! またねーなの!」
「ああ、またな」
みかんが走り去っていくのを手を振って見送ったところで、シドははたと気がついた。
「……ところで、そのライブっていつやるんだ?」
***
なんのことはない、チケットを裏返したらライブ日時が明記されていた。
みかんもこれが分かってたから特にライブ日を伝えなかった……。のではなく、素で伝え忘れたのだろう。
シドはなんだか無性にやるせない気持ちになったりしつつ――、二日後の当日を迎えた。火曜日。世間は祝日だ。
杖を突いて、えっちらおっちら歩いてたどり着いたるはプリパラ、その出入り口。
ただでさえ女の園であるプリパラ。祝日ともなれば女の子であふれかえっているのだろう。
これはさぞや肩身の狭い思いをするぞ、と覚悟を胸に自動ドアを通って――。そうでもないことにすぐ気がついた。
もちろん女の子であふれかえってはいたが、同時に保護者らしき男性たちの姿があったのだ。
中にはシドと同年代であろう男子の姿もあり、おそらくは妹でも連れてきたのだろう、とあたりをつける。
(とはいえ、ここはまだエントランス)
そう、己はこれからプリパラ内部に入らなければならないのだ。シドはホッとして緩みかけた心をふたたび引き締める。
視線を走らせると、頭上に「受付カウンター」と書かれた矢印のついた案内板。
矢印を追って受付カウンターに目を向けると、入場待ちの女の子たちが列をなしているのが見えた。おののくシド。
(まさか、あれに並んでチケットを渡さなきゃいけないのか……!?)
いくら周りに男がいるとはいえ、あれに並んでいる男はさすがにいない。
二の足を踏みかけたが、どうせ内部に入ればイヤでも女の子に揉まれるハメになるのだ。
シドは萎えかけた心を奮い立たせるように、あろまから譲り受けた大切なチケットをズボンのポケットから取り出した。
(いざ、あの列に並ばん――)
「チケットを拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「……は?」
眼前に、メガネをかけた女性が立っていた。
目を白黒させるシド。ついさっきまで自分の近くにこんな女性はいなかったはずだ。
混乱しながらも視線を泳がせれば、受付カウンターの向こうにいる受付嬢と、目の前の女性が同じ服装であることに気がついた。
服装どころか容姿までうり二つなのだが、そこは今は置いておく。きっと双子なのだろう。
つまるところこの人は、目の前に立つ受付嬢がニコリとスマイルを浮かべる。
「チケットを拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。どうぞ……」
いずれにせよ渡りに船ではあった。列にならばず済むならと、チケットを手渡す。
「はい。確認いたしました。それではめが兄ぃさん、よろしくおねがいします」
またもやどこからともなく、メガネをかけた男性がやってきた。おそらくは男性スタッフなのだろう。
「どうぞこちらへ」
丁寧な物腰でそういうと、男性スタッフは歩き始める。
なすがまま先導する背中に付いて行けば、いかにも『スタッフ専用』といった風情の無骨な扉を抜けて通路を歩いてく。
「申し遅れましたが、私のことはめが兄ぃとお呼びください。シド様」
「どうも……って、どうして俺の名前を?」
「入場チケットに入力されたデータを読み取らせていただきました。あろま様からのご招待ですね」
「いつの間にデータを読み取ったんです? 受付嬢さんにチケットを見せて、めが兄ぃさんはすぐに来た。読み取ってる時間なんて……」
「私たちは人間ではありません」
「……は?」
「我々スタッフのことは、プリパラというシステムそのものが具現化した存在、とでもお思いください」
さっぱりわからん。
シドのそんな考えが顔に出ていたのか、あるいはそのような反応も想定済だったのか、めが兄ぃさんは続ける。
「マトリックスという映画はご存じでしょうか」
「ええ」
「ざっくり表現するなら、あの映画に出てくる黒服のエージェントが私たちです。なんとなくご理解いただけましたでしょうか?」
「え、ええ……。まあ、なんとか……?」
「それはよかった。話をもどしますと、プリパラ内のありとあらゆる情報は常に中央サーバーに収集・管理されております。収集方法は多岐にわたっており、もちろん我々スタッフの耳目を通じて得た情報もそれに含まれております。そして我々スタッフは中央サーバーを介して情報を共有しており、これによって迅速かつ均質なサービスの提供を実現しているのです」
「はあ……」
「その上で先ほどのご質問へのご返答になりますが、データを読み取ったのは――シド様がプリパラに足を踏み入れた瞬間になります」
要するに、それだけ高度な監視システムが構築されているということだった。
まさか全部が全部ほんとうのことをいってるとはおもわないが、すくなくとも情報が迅速に共有されているのは事実だろう。
めが兄ぃがエージェントってのは……、まあそういう設定なのだろう。そう結論付けるシド。
(プリパラはエンターテイメント業。すなわち夢を売る仕事。イメージを守るのは大切なこと、だもんな)
シドがそんな風に考えていると、ふいにめが兄ぃさんの足が止まった。
つられて立ち止まるシド。視線の先には、空港で見るような開閉バーのついたゲートが設置されている。
ゲートの向こうには通路が続いており、おそらくその先が――
「このゲートより先が、プリパラタウンへ続く道となっております。ですがこのゲートを抜ける前に、こちらの個室にお入りください」
「個室?」
ついついゲートに気を取られてしまったが、いわれてみればすぐ脇に個室が置いてあった。
メタリックな外装と、側面に姿見が設置されているのを見て、個室写真機だろうかとあたりをつける。
(入場してから不審な目で見られないよう、顔写真付きのパスカードでも即席で作ってくれるのだろうか)
しかし――、シドはこの時まだ理解していなかったのだ。
このプリパラがいかにトンでもない、常識の通用しない施設であるかを。
間仕切りカーテンを捲り個室に入って間もなく、シドはそのことをイヤというほど理解する。
***
「……信じられん」
姿見の前にはなかなかの美少女が立っていた。
ショートヘアにぱっちりとした瞳。ボーイッシュという形容詞がふさわしい少女だ。
上はノースリーブシャツにボタン付きのベストを着ており、胸元は今にもはち切れんばかりに膨らんでいる。
下はピッチリとしたズボンを履いているにもかかわらず、こちらにはあるべき膨らみが存在しない。
シドが右手を上げれば同じく右手を上げ、ぎこちない笑顔を浮かべれば同じくぎこちない笑顔を浮かべた。
「マジで女になってる……」
個室に入ったら光を浴びせられ、出てきたらこの有様である。わけがわからない。
「さすがに男性のお姿のままお入れするわけには参りませんので……。どうぞご了承ください」
ペコリと頭を下げるめが兄ぃさん。
まさかこんな形で去勢されるとは夢にも思わなかったが、しかし文句はなかった。
女の園に男のまま放り込むより、女にして放り込んだほうが諸々の問題をまとめて解決できてしまう。
ふつうは思いついても"やら"ないというか"やれ"ないのだが、やれてしまうのならこれほど合理的な手段もないだろう。
杖どころか服や持ち物までどっか行ってしまったがあれはどうなってるんだろうなとかそういう疑問はどうでもいい。
そう己に言い聞かせるシド。圧倒的な不条理を前にした人間は納得という名の諦観をするしかないのである。
「……あのー、ちゃんと男に戻れますよね?」
おそるおそる問いかけたシドに、めが兄ぃさんは無言でニコリとスマイルを返した。
「それでは、プリパラタウンへ参りましょう!」
「あの、めが兄ぃさん? ちゃんと男に戻れるんだよね? ねえ!?」
なにはともあれ、女体化したシドはめが兄ぃさんの先導でプリパラタウンへと足を踏み入れたのであった。
***
ゲートを抜けた瞬間、光に包まれて、いかにも裏路地といった人気のない場所に出た。
たしかゲートの向こうには通路が続いていたはずだが、男を女に出来るのならテレポートくらい余裕だろう。
シドはかんがえることをやめた!
「よく来たわねネコ」
声。視線を向ければ、ハローキ◯ィ風にデフォルメされた黒猫のぬいぐるみが宙に浮いていた。
「なんだこれは」とシドが疑問を抱くのと、めが兄さんが口を開いたのはほぼ同じタイミングだった。
「こちらが本日、シド様のガイド役となる――」
「スカウトマスコットのネコよネコ。気軽にネコ姉さんって呼んでもらえるとうれしいネコ」
スカウトマスコットってなんだよ!? ぬいぐるみが喋ってる!? どうやって浮いてるんだ!? ネコのクセに化粧濃いな!?
一瞬にして脳裏を駆け抜けていったツッコミを、シドは心の棚に収納した。
ガイド役。おそらくはプリパラタウン内でおかしなことやらないよう、お目付け役も兼ねているのだろう。
ともあれシドにとっては誠にありがたい話であった。
勝手を知らぬ土地に裸一貫で放り出されて、ライブ会場にすらたどり着けませんでしたなど笑い話にもなるまい。
シドはペコリと、ネコ姉さんに頭を下げる。
「椏隈野シドです。今日はどうぞよろしくおねがいします――、ネコ姉さん」
「あーんもう! 礼儀ただしい子だネコ〜! ネコ姉さん、さっそく気に入っちゃったネコ!」
黄色い声をあげるネコ姉さん。すばやくシドの手を取ると、存外力強く引っ張る。
「さ、行きましょうネコ!」
「え? あ、それじゃあめが兄ぃさん、行ってきます!」
「いってらっしゃいませ」
うやうやしく頭を下げるめが兄ぃさんに見送られながら、シドはネコ姉さんに引っ張られていった。
***
「ネコ姉さんって、あろまとみかんのマネージャーだったんですか」
「うふふふ。だからシドちゃんのことはふたりからよく聞いてるわよネコ。いつも楽しそうに話しててほほ笑ましいったら。だいぶお世話になってるみたいねネコ」
「そんな! むしろこっちの方がお世話になってますよ。あのふたりのおかげで今も店が続いてるようなもんですし」
「おおげさねえネコ」
くすくすとほほ笑むネコ姉さん。シドなりの冗談だと思っているようだが、大マジである。
あのふたりがいなければ、入院することになった時点で祖父は店を畳んでいた可能性が高い。
他愛のない世間話をしつつ、ネコ姉さんに先導されながらシドは歩いていく。
裏路地から出ると、一転して活気にあふれた路地を歩いて行くと、ふいにネコ姉さんが止まった。つられて止まるシド。
「これがプリパラTV――、各種ライブ設備がそろった施設よネコ」
視線の先には、ガラス張りの大きなビルが建っている。
「ここにいる女の子たちは明日の神アイドルを目指し、日々この場所でしのぎを削っているんだネコ。ほかには、テレビで流れているライブ映像もここから発信されているのよネコ。ここがなければプリパラは成り立たない、まさにプリパラタウンの中枢施設というわけねネコ」
「へえ……」
しのぎを削る。つまり勝者もいれば敗者もいるということだ。
たくさんの少女たちの感情渦巻く悲喜劇がこのビルの中で繰り広げられ、今この瞬間にも演じられているのだろう。
途端、眼前のビルから漂いはじめる情念。シドは圧倒される思いだった。
「そして――、ここで今日あの娘たちのライブがあるというわけネコ。さ、シドちゃん。着いてきてネコ」
「……うっす」
「ダメよ〜、シドちゃん」
「?」
突然のダメ出し。怪訝な表情を浮かべるシドに、ネコ姉さんはウインクする。
「せっかくかわいいお顔なんだから、もっと可愛らしくしないともったいないネコ♪」
「は、はあ……。きをつけます」
たしかに今の己は美少女といっても差し支えない――。が。かといって可愛らしく振る舞うなんて冗談ではないシドであった。
返事をした時に頬が引きつっていなかったことを祈りながら、ネコ姉さんの背についてプリパラTVへ入場する。
***
熱気が肌を打った。
薄暗いライブ会場を埋め尽くす少女たちに、ただただ呆然とするシド。
「こんなに人気があったのか……、あのふたり」
「ふふふ、おどろいたネコ?」
シドの反応に、隣でほほ笑むネコ姉さん。どこか誇らしげなのは気のせいではないだろう。
会場入りしてからというもの、シドは呆然としっぱなしだった。
("我らはまだその域に達して"ない? これで?)
眼前で揺れている色とりどりのサイリウム、それを持つ少女たちの熱気はステージに向けられている。
未だ不在の主役ふたりがあらわれるのを、今か今かと待ち望んでいるのだ。
神アイドルを目指すというふたりの夢は、決して絵空事ではないと雄弁に語っている。
「……遠いなぁ」
無意識にこぼれ落ちた言葉。みっともないと思いながらも、シドは羨望を隠せないでいた。
とっくに夢破れた自分と、いまもこうして夢に向かって輝いているあろまとみかん。
観客席から暗闇に包まれたステージまでの距離が、シドにはまるで自分とふたりの距離のように感じられた。
「そんなことないネコ」
ネコ姉さん。シドの言葉をどう受け取ったのかはわからないが、その眼差しはとてもやさしかった。
「ふたりはアイドルである以前に女の子――。そう、好きな男の子に、こんな不器用なはげまし方しかできない女の子なのよネコ」
「それってどういう……」
「ことですか?」と問いかけようとした直後、聞き慣れた声が会場に響いた。
「デールデルビー!」
「ジェルジェルエーンジェル!」
パッ! とステージの中央にスポットライトが当てられる。降り注ぐ光の線に、浮かび上がるふたつのシルエット。
その姿を確認すると同時に、前後左右から少女たちの歓声が爆発した。すこしでもその姿を間近で見ようと、前へ前へと前のめりになる少女たち。
シドの背にかかる名も知らぬ少女の重み。やわらかな感触に気を取られかけたが、ふたたびステージから響いてくる聞き慣れた声に意識が傾く。
「ダークネス! 悪魔のしもべたちよ、呪われるがよい!」
「シャイニング! みんなに天の祝福をなの」
あろまはビシっと虚空を指差し、力強く声を張り上げる。
みかんは胸元で祈るように両手を組み、やさしげな声でささやく。
「プリパラの門をくぐる者、すべての希望を捨てよ!」
「ううん! 魂は救われるエンジェル!」
鋭い眼光でともすれば威圧的に振る舞うあろまと、やわらかい笑顔で明るく希望を謳うみかん。
ウラとオモテ。まるでリバーシブルのように対象的なかけあいを続けるふたり。
その堂に入った立ちふるまいに、シドは目を奪われる。
「あろまと!」
「みかん!」
「「天使と悪魔があなたを!」」
「天国につれていくの!」
「いや地獄行き!」
「「我ら、アロマゲドン!」」
口上の終わりと同時、ステージが一気にライトアップされる。
流れだすイントロに合わせて踊り始めるふたり。シンフォニックなメロディ。会場のボルテージは最高潮だ。
「あろまー!」「みかーん!」「私も地獄につれていってー!」等と黄色い声が上がる中、シドもまた一心不乱にサイリウムを振り回す。
さあ、ライブが始まる――!
***
ライブは大歓声とともに締めくくられた。
会場から出て行く人々の群れ。歩きながら「よかったねー」と興奮した様子で語り合う少女たちに、内心激しく同意するシド。
シドはこのまま喫茶店にでも入ってしばらく余韻に浸りたかったが、そうはいかなかった。
まず真っ先に、この感動を伝えるべき相手がいるのだから。
「ネコ姉さん」
「こっちよネコ」
会場から出てすぐに声をかければ、委細承知とばかりにネコ姉さんはふよふよと先導する。
つれられたのは控室が並ぶ通路だった。ピタリと立ち止まるネコ姉さん。
「ここから6つ目の扉がふたりの控室ネコ」
「はい」
「それじゃあ、あたしはここでお別れネコ」
「……え?」
あっけにとられるシド。何故? 問いかけるより先に、ネコ姉さん。
「あたしはいつでもここであのふたりに会えるけど、シドちゃんはちがうでしょうネコ?」
「それはまあ、たしかにそうですけど……」
だからといってネコ姉さんがいなくなる理由がわからない。
問いかけようとしたが、あっさり躱される。
「ふふふ、あとは若い人たちにまかせるネコ〜。それじゃあまたあとでね、シドちゃん」
手を振りながら背を向けて去っていくネコ姉さん。
不可解ではあるが、ふたりの場所は教えてもらったし、実際シドに残された時間は短い。
それに。
「……『またあとで』っつってたしな」
なにか考えがあるのだろう。とにかく今はふたりの控室に向かうことにした。
「ひのふの……6つ目で、ここか」
扉の脇には『アロマゲドン』と書かれた表札プレートがついている。
ノックしようと右手を上げて、細い指が見えた。
いつもと姿がちがうということを、シドはいまさらになって思い出したのだ。
(ネコ姉さんをなんとしてでも止めるべきだったか……)
我ながらすっとぼけてるとしかいいようがないが、すぐに気を取り直す。
ふたりならネコ姉さんの連絡先くらい当然把握しているだろう、確認してもらえばいい。
改めて扉をノックする。コンッコンッ。
「は、はいってよいぞ!」
即座にあろまのうわずった声が返ってきた。
おいおい誰だか問いかけるくらいしろよと不用心さをシドは心配するが。或いはこうして控室を誰かが訪れるのは、あろまにとって珍しいことではないのかもしれない。
扉を開くと、ソファーに座ったあろまが不敵な笑みで出迎え――、一瞬だけ眉尻を下げたが、またすぐに不敵な笑みを浮かべる。
「汝、我のファンか。くくく……、またひとり悪魔に魅入られし罪深き者があらわれてしまったか……。しかしあいすまぬな、今日は地獄に用事があるゆえ、トモチケの交換はてばやく……」
「お兄さんよくきたなのー!」
「すませた……、え?」
キャッキャと笑顔で飛びついてきたみかんを受け止めるシド。
ここまであっさり見ぬかれるとはおもわず、シドの方が面食らってしまった。
「まさか……、シドか?」
目をまんまるさせたあろまが無性におかしくて、シドはいたずらな笑みを浮かべる。
「おう。ひさしぶりだな、あろま」
「う、うむ。ひさしぶり……、だな」
あろまの態度はどことなくぎこちない。
己が女体化したことがよほど衝撃的だったのだろう。しかたないか、とシドは内心苦笑する。
「お兄さんのおっぱいふかふかなのー!」
「ハハハ、存分に堪能するがよい」
あろまはシドの身体を見ながら、どういうわけか悔しそうな顔をしていた。
「ぐぐぐ……。我らよりスタイルがよいではないか……」
「ははは、うらやましかろう! ……まあ、俺としてはあんまりうれしくないんだけどな」
シドの顔を見上げて、ふしぎそうに小首をかしげるみかん。
「? ふかふかおっぱいなのにうれしくないなの?」
「……正直にいうと最初はちょっとうれしかった。でもすぐ冷静になったよ。いくら巨乳でも自分の身体じゃなあ……」
埋めさせるより埋めたいというのが偽らざる本音だった。
なぜだか知らないがあろまの目線が急に冷たい。シドはゴホンと咳払いをしてごまかすと、続ける。
「つーか、俺とちがってあろまは自分の意思でその姿になったんだろう?」
「まあそのとおりなのだが……。もとは男のシドにスタイルで負けるというのは、なんかこうフクザツな……」
「いやー、べつにあろまが負けてるともおもわないが……」
きゅっと引き締まった腰回りに、すらりと伸びた手足。
豊満さこそないが、いまのあろまは充分すぎるほどのスレンダー美人といえよう。
いずれにしたところで、プリパラという仮想世界におけるスタイルにどれだけの価値があるかは怪しいところだが――。
「――だいじょうぶなの! 心配しなくてもあろまだってふかふかおっぱいになれるなの!」
「ほう?」
「あろまのお母さんもふかふかおっぱいなの! だから将来ゆうぼうなの! それにさいきんちょっとふくらんできてて……」
「や、やめぬかみかん! シドも食いつくでない!」
あろまはシドに抱きついていたみかんを引き剥がし、うしろから羽交い締めにするが、みかんの口は止まらない。
「それにねそれにね! みかんのお母さんもふかふかおっぱいだから、きっとみかんもふかふかおっぱいになるなの! そしたらあろまといっしょにお兄さんをぱふぱふしてあげるなの!」
「ぱ、ぱふぱふなんかせぬわ! というかぱふぱふなんて言葉どこでおぼえてきたのだ!」
「っていうかぱふぱふってなんだ。あろまは知ってるのか?」
「え?」
信じられない。という目でシドを見るあろま。
その驚きたるや、みかんが腕の中から抜けだしたことにも気がついていないようだ。
「ど、ド◯ゴンクエストであそんだことがないのか? 国民的RPGだぞ?」
「ないなー。そもそもゲーム自体あんまり遊ばないんだよ。で、どういう意味なんだ?」
シドの真摯な眼差しに、あろまは頬を染めて視線をそっと逸らした。
「そ、それは……」
「それは?」
「む、むねで……」
自分の胸を両手で左右から挟みこむような動作をするあろまだが、そこで固まってしまった。
「胸で?」
「……う、ぐぐ。み……、みーかーんー!」
「み、みかんはわるくないなのー!?」
決して広くはない控室の中で、やんややんやと追いかけっこを始めるふたり。
ひとしきり騒ぐと、先に体力の尽きたあろまがソファーに倒れこみ、みかんとシドも続いて座った。
「お兄さんはまんなかに座るなのー!」
「え? おう」
というわけで、あろま、シド、みかんの席順だ。息も絶え絶えにあろま。
「み、みかんよ……。お茶をたのむ……」
「わかったなのー。お兄さんも飲むでしょなの?」
「ああ、たのむ」
おそらくプリパラ側が用意したのであろう、眼前のテーブル上に置かれたピッチャーとコップ。
みかんはそこから3つのコップを取って並べると、ピッチャーからお茶を注いでいく。
「どうぞなのー」とそれぞれの前に差し出されたコップを受け取ると、それぞれ飲み始める。
「ふう……」
ちょこんとソファーに座り、ひとごこちついた様子のあろま。シドは改めて問いかけた。
「で、ぱふぱふって……」
「それはもうよい!」
「お、おう」
ダンッ! と音を立ててテーブルに空のコップを置くあろま。
ガルルと髪を逆立てながらのかつてない剣幕に、シドもここは引かざるをえなかった。
コホンとかわいらしく咳払いをするあろま。仕切り直し、ということらしい。
「どうだシドよ。我らのライブはすばらしかったであろう」
ともすれば傲岸不遜。言葉だけ聞くならとても自信に満ちあふれている。
けれど、その表情の奥に隠し切れない不安の色があることをシドは感じ取った。
素人目に見て、あろまのステージでの振る舞いは実に堂々たるものだった。
そんな少女でも、やはりだれかに評価されるというのは緊張するものなのかもしれない。
早く安心させるためにも、良かったことを伝えるべく口を開きかけて。
「ここまで――、"足を運んだ"価値はあったであろう?」
シドははっと息を呑んだ。
おそらくはポロッとこぼれたあろまの言葉に、シドはすべてを察した。
(つまりはそういうこと、だったのか)
あの日、あろまの前でうっかりこぼした苦悩はまちがいなくシドの本音。けれど、それだけだ。
誰だって苦悩の一つや二つは持っていて、それは自分自身の胸の内で折り合いをつけて生きていくしかない。
すくなくともシドはそう考えて生きてきたし、断じて人様にさらけ出していいものではないと思っていた。
ゆえにあの日のことは、シドの中ではみっともない記憶として深く刻みつけられている。
(だってのに……)
脳裏で鮮やかに再生されるあろまたちのライブ映像。
あれだけの観客がいて、その実たったひとり――、己を励ますためだけに送られたライブだったのだ。
シドにとってバスケがすべてだったように、あろまにとってはプリパラがすべてなのだろう。
その気もちが痛いほどわかってしまうからこそ、篭められた想いの深さもまた痛いほどわかってしまった。
対して、自分はいったいなにを返せるというのか。感謝の言葉? ちがう。そんなのは自己満足にすぎない。
アイドルとしてあろまが最も望んでいるのは、そう――。
「――ああ、最高のライブだったぞ!」
満面の笑みとともに、シドは心からの賛辞を伝える。あろまの顔にもパアッと笑みが咲く。
「そ、そうか! まあ当然であろうな!」
「ほんとうに……、ここまで"足を運んで"よかったよ」
「あ……」
目を見開くあろま。
じわっと目元に水滴が浮かんだように見えたが、すぐに後ろを向いてしまった。
ぐしぐしと両手で目元を拭うと、ふたたびシドと向き合う。
「う……うむ! うむ! だがなシドよ! 我のげんかいがこの程度などとかんちがいするでないぞ!」
目元をすこしだけ赤くさせながらも、瞳には先程までにはなかった力強い光をたたえている。
きっとあろまはこれから先、もっともっと輝いていくのだろう。これからも見続けていたい、純粋にそう思った。
「ああ、これからも特等席で活躍を見させてもらうさ。なんたって俺は悪魔の――」
いいかけて、シドは口元に不敵な笑みを浮かべた。
「――あろまの使徒だからな」
「――うむ!」
笑い合うシドとあろま。
さあ、もう退屈に腐ってなんかいられないぞ。シドは覚悟を決める。
これからも己を磨き、輝き続けるあろまの側にいたいのなら、相応の努力をしなければなるまい。
まずはそう――、後輩に連絡してバスケ部の仲間たちと再会するところからはじめようか。
「……して、汝はあのライブのどこがよかった?」
「そうだな……」
いずれにせよ、今は努力家でかわいらしいご主人様との会話を楽しむべきだ。
真剣な眼差しを向けるあろまに、シドは改めてライブの具体的な感想を口にするのであった。
〆
もどる
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