玖堂家は地元の名士である。 その本家から勘当を食らったイツキは、地元にいるかぎりはどこへ行っても腫れ物あつかいだった。 泊地に来たことでそういった無形の圧力から解放され、気が緩んだのかもしれない。 「だからといって1ヶ月放置はなあ……」 「やってしまったなあ」と、廊下を歩きながらため息をつくイツキ。 思い返してみれば、ご飯時とかチラチラ意味深な視線送ってきてたもんなあ――、不知火。 授業が終わった後に、「ところで指揮官さま、明日は週に一度のお休みの日でございますが、なにかご用はおありで……?」と訊かれたのも、いま振り返れば完全にお誘いである。 力強く「寝る!」と答えてしまったことを思い出し、イツキは頭を抱えたくなった。ただ言い訳をさせてもらえるならば、新環境に慣れるために己も必死だったのだ。 「……なんにせよ、だ」 今日こそ不知火の店に顔を出す。イツキは決意とともに暖簾をくぐった。 視界に広がる店内はなかなか広い。棚が六列あり、それぞれ店の奥に向かって伸びている。 奥のレジにはだれもいない。ちょうど不知火は留守にしているようだ。 「ことごとく間が悪いなぁ……」 ぼやくが、レジの近くで待っていればそのうちもどってくるだろうと気を取り直す。 店内を見回しながら奥へと進むと、ひな壇のようにレジの左右に展開された棚を眺める。 扱いから察するに、おそらくこの店で最も高価か儲けが期待できる商品を並べる棚、ということになるのだろう。 しかしなにも並んでいない。どういうことだろうかと首を傾げるイツキ。 「そちらは装備箱の棚でございますよ」 「装備箱?」 「妾たちKAN-SENが装備できる武装の収納されている箱です。もちろん、売り物でございますよ」 「へえ……。それがなんでひとつもないんだ?」 「指揮官さまがご不在だったからですよ。指揮官さまの許可がなければこればかりは入荷することも出来ません」 「いってくれればいくらでも許可を出すのに」 いかにラフィーやエンタープライズの技倆がすぐれていようとも、装備が劣悪なら勝てる戦いも勝てない。 ペルシャ戦争の昔から海戦とはすなわちテクノロジーのぶつかりあいである。 テミストクレスがペルシャとの戦争を見据えて専用の船を用意していなければギリシャの敗北は十分にありえた。 というのはここ1ヶ月の教育で叩き込まれたにわか知識だが、戊辰戦争における彼我の装備差が生んだ悲劇はよく知っている。 戦争で負けるのは惨めだ。敗戦の苦渋は舐めたくないし、己に付き従って前線で戦っているKAN-SENたちには尚のこと味あわせたくない。 だから装備を更新するのに己の許可が必要だというならいくらでも出そう。そんな思いを込めていった。 しかし――、不知火の声色はなぜか芳しくない。 「……だから入荷できないのですよ」 「?」 その反応にイツキはなにか違和感を覚えた。 なにか、根本的に意識がすれちがっているような、そんな違和感。 だがその正体を突き止めるより先に、不知火が言葉を続ける。 「さて、本日はいったいどのようなご用件でございましょうか、大うつけさま」 ここでようやく声の先に視線を向けるイツキ。 石造りの上がり框には草履が置かれている。そのさらに一段上がった畳敷きの床、置かれたレジの横に不知火が品よく正座していた。 じっ、とイツキにいつもどおりの無感動な目を向けている。 いつもどおり、のはずなのだが、どこか非難しているように見えるのは己のうしろめたい気もちが生んだ錯覚であろうか。 「お菓子をお求めで? それともお飲み物を? それともご本? ああそうそう、音楽"しーでー"や"てれびげーむ"などもございますよ」 「あ、あう……」 まくしたてるような調子にたじたじとなるイツキ。 「まあ、大うつけさまをいじめるのはここまでにしておくといたしましょう。そもそもこうなることは織り込み済みでございましたし」 「織り込み済み?」 「新生活に慣れるのはだれだって大変なものでございましょう。くわえて明石の小娘はなかなか"すぱるた"のようでございますし。妾としてはもう一ヶ月はかかると見ておりましたよ」 「そっか……」 そこまでわかっててあんな寸劇をやるのだからいい性格をしている。 不知火は脇に置かれていたA4サイズのバインダーを手に取ると、そのまま差し出してきた。 「こちらを御覧くださいませ」 「このファイルは?」 「指揮官さま方が着任される前に、妾たちKAN-SENに配布される資料、それをまとめたものにございます」 「いいのか、そんなものを俺が見ちゃって」 「かまいませぬ。名前と顔写真、それと妾がつけたした在任期間しか明記されておりませぬがゆえ」 それも立派な個人情報だが――、まあ悪用する気はないのだから彼らも許してくれるだろう。 イツキはA4サイズのファイルをめくる。 最初のページには、良くいえばやさしそうな、悪くいえば気の弱そうな男の写真。 最下段には着任年月日と除隊した年月日が記載されており、これによれば6日で離任しているのがわかった。 事前情報のとおり、さしたる情報量ではないことがわかった。ペラペラとめくっていくイツキ。 神経質そうな男。3日。真面目そうな男。3日。責任感の強そうな男。5日。次。4日。次。4日。次。3日。 そして最後のページには、玖堂イツキ――。着任より現在2ヶ月目。 「……」 唖然。前任者の数がおよそ7人におよぶことにも驚いたが、そのどれもが一週間と持たず離任している。 そしてまさか、この時点で己が在任期間最の長記録保持者だとは夢にもおもわなかった。 「おわかりになられましたか」 固まっているイツキに、不知火が淡々と声をかける。 「この泊地は、いままでどの指揮官さまも着任から1週間ともたなかったのでございますよ」 「……どうして?」 「さあ? 妾たちにはまったく心当たりがありません。おそらくその答えに最も近く、そして最も遠いところにおられるのが、イツキ指揮官さまかと」 不知火のいうとおりだった。 すくなくともKAN-SENサイドにまったく心当たりがない以上、指揮官にしかわからない"何か"があるのだろう。 けれど同時にイツキは過去最長の在任期間を持つ指揮官であり、現在において離任する気は一切ない。 「それでもただひとつ、妾たちに心当たりがあるとすれば――、おそろしかったのかもしれません」 「……おそろしかった?」 「着任当日、指揮官さま"も"戦場にご出陣なされたと聞きました」 「うん、そうだけど……。"も"ってことは?」 「ええ、歴代の指揮官はだれもが着任まもなく出陣をして……。もっとも着任当日というのはイツキ指揮官さまだけですが、ラフィーもなにをかんがえて……。いえ、過ぎたことでございましょう。そのときエンタープライズたちの戦いをみて、どのようにおもわれましたか?」 大きいというのは、ただそれだけで強いものだ。 なによりも大きな船体に、なによりも大きな大砲やら機関銃をいくつもくっつけた、いっそ幼稚さすら感じるほどに強さだけで構築された乗り物。それがイツキから見た戦艦。 あまつさえ群れをなして迫ってきたのだから、巨人の国に漂着したガリバーの気もちだって分かろうものだ。 そんな大きくて強そうな戦艦の群れをたやすく鉄くずにした少女たちの勇姿を思い返すと、イツキはしみじみと口を開く。 「たのもしいなあ、って思ったよ」 「それだけですか?」 「うん」 「ほんとうに?」 「うん」 不知火はよほど信じられないのか、身を乗り出してまじまじとイツキの顔を見つめる。 いつもの彼女らしからぬアクティブさに驚いたが、それ以上に顔が近い。 ふだん意識することはないが彼女もまた整った顔立ちの美少女だ、なんというか無性に気まずかった。 やがてイツキが本気でいってることを理解したのだろう。元の体勢にもどる。 「……大うつけのイツキ指揮官さまらしい反応でございますね」 「あれ、俺ディスられてる? なんで?」 「よろしいですか。ふつうの人間であれば、たのもしいと感じるのと同じくらい、おそろしいという感情もわき上がるものなのです」 「なんで?」 不知火はあからさまにため息をついた。 「いまは自分に付き従っているが、この力がもし――自分たちに向けられたら?」 「向けないでしょ?」 「……まあ、向けませぬが」 どこか居心地の悪そうな不知火。いずれにせよイツキはKAN-SENたちが自分に暴力を振るうことは決してないと不思議に確信していた。 「で、不知火は歴代指揮官たちがエンタープライズたちの強さにおそれをなして辞めたと、そうかんがえている?」 「妾だけでなく、ここにいるKAN-SEN全員が共有している認識でございますね」 「しかし言葉は悪いけど……、その辞めた指揮官たちは勝手に怖がって勝手に逃げ出したんだろ? エンタープライズたちはなにも悪くないし、気にすることなんかないとおもうんだけど」 イツキが首を傾げると、不知火はあっさり肯定する。 「まったくそのとおりでございます。明石はむしろ腹を立てておりますし。ラフィーなどはまったく気にしておりません。エンタープライズも内心ではわかっているのでしょうが。……指揮官さま、いきなり哲学的な問いかけで恐縮ですが、KAN-SENの存在理由とはいったいなんでしょう?」 まったく恐縮していない様子で難しい質問をされてしまった。KAN-SENは海を守るために生み出された存在と学んだ記憶がある。それに準じるのならば答えは。 「……戦うこと?」 イツキの言葉に不知火は頭を振る。どうやらハズレだったらしい。つい反射的に答えてしまったが、よくよく考えればひどい答えだった。 KAN-SENは人ならざる存在だとは聞いているが、実際に話し合ってみれば彼女たちには確固たる人格が備わっているのだ。そんな兵器や道具みたいな扱い―― 「"つかわれる"ことです。よろしいですか指揮官さま? 妾たちKAN-SENは"兵器"であり"道具"でございます。"道具"というのは"つかわれる"ために作られるもの。すなわちつかわれなければ存在理由を否定されるのと同じことなのですよ。ゆえに指揮官がどんな無茶な要求をしても……、いえ、無茶な要求にこそKAN-SENはぜんりょくで応じることでしょう」 ――いいきった不知火は、いつもの無感動な瞳の中にこれまでにない真剣な光を宿していた。これは自分だけの意見ではないと念押しするように。 KAN-SENは人ならざる存在だとは聞いている。言葉の上では理解しているつもりだったが、認識としてはまだまだ甘かったらしい。 だからといって、そこまで割り切った扱いを彼女たちにできる気はしなかったが。 「……ま、妾のような例外もおりますが。なので無茶な要求をするなら妾いがいにするのが賢明かと」 「おい」 「ともあれ、以上を踏まえればエンタープライズのぎくしゃくした態度の理由もおわかりになられるのでは?」 「うん……。"つかわれる"ことが存在理由なのに、つかわれないどころか捨てられてしまった……、おまけになんども繰り返されたら指揮官に対して臆病にもなる……、か」 「あのかたも、あれで昔はユニオンの軍人らしいそれはそれは堂々とした態度だったものでございますよ」 「ああ、なんとなくわかるよ。秘書艦の仕事をやってるときは堂々としてるしな」 軽率な行動をとったらまた捨てられてしまうのではないか、そうならないためにも慎重に振る舞わなければ――、と。 おそらくそう考えた結果がエンタープライズのあのぎくしゃくした態度だった。 正直にいえば気もちとしてはよくわかる。しかし不快な感情がこみあげることも否めなかった。まるでフォローするかのように不知火。 「もっとも、妾としては『いいかげんにしろ』といいたいところではございますがね。この泊地にきてから1ヶ月。もはや見捨てるようなお人でないことくらいわかるでしょうに」 「不知火……」 なんやかんやでちゃんと自分を見てくれていたことに感動しかけるイツキ。が、次なる言葉で腰砕けになる。 「道具として十全に使われたいのなら、もっとこの大うつけさまに媚びることを覚えるべきでしょう」 「俺は不知火さんにも媚びてほしいなーって……」 「指揮官さまが普段つかっている日用雑貨をだれが手配していると?」 「へへへ、お肩をおもみいたしましょうか?」 「結構でございます」 "使わざるを得ない"、だから常に存在理由を満たせているKAN-SEN。それが不知火だった。 だからこそエンタープライズのことも一歩引いた目で見れたのかもしれない。 *** 軍人の帽子にあご紐がついていることを知ったのは、この泊地についてからのことだ。 不知火との会話を終え、気分転換に外へ出たイツキは岸壁から海を眺めていた。 あいも変わらず鈍色の空に、時おり強い風が吹きつけ、荒々しい波が絶えず岸壁を打ち付けている。 海を眺める行為にはリラクゼーション効果があると聞いた覚えがあるが、この泊地には当てはまらないだろう。 「……指揮官たちが次々に逃げ出したってのも、この荒れた気候のせいじゃないのか?」 聞けば年中このような気候らしい。海が穏やかに凪いでいることなど滅多にないという。 いまのところ指揮官としての立場になんの不満を持たないイツキでも、ただ眺めているだけで寒々しい気分になるのだ。 或いはいきなり指揮官として引っ張り出され、ただでさえ心に不安を抱えている人間がどう感じるかなど、想像に難しくはないだろう。 或いは人類の救済者と持ち上げられ、華々しい活躍を期待していたら、こんな僻地に飛ばされたことがプライドを傷つけたのかもしれない。 或いは――、と考えたところでイツキはかぶりを振る。こんなことは考えるだけ時間の無駄だった。 そもそもの話、たった数日で逃げ出した彼らと1ヶ月もいる己とでは、すでに立場が大きくちがうのである。 いいご身分だとすら思う。こちとら仮に逃げ出したいと思っても逃げる場所なんてありはしないのだ。 エンタープライズが未だにそんな彼らと己を同視して警戒しているのだとすれば、いささか気分が悪い、というのも本音だった。 わけもなく足元の石を海に向かって蹴っ飛ばせば、荒々しい波が受け取るように飲み込んだ。 (ま、だからといってエンタープライズの気持ちがわからないわけでもなし……) 人に見捨てられた彼女の気持ちも痛いほどわかる。 ましてそれが7回も続けば、心がハリネズミのようになってしまうのもいたしかたないだろう。 だから結局のところ、ゆっくりエンタープライズと信頼関係を築いていくのが一番の近道だとイツキは改めて認識した。 軍服の胸ポケットから懐中時計を取り出し、イツキは時間を確認する。 「まだ時間はあるが……、そろそろ執務室にもどっておくか」 これからラフィー先生によるKAN-SENの装備に関するお勉強の時間だ。 いまはただ一歩ずつ前へ進んでいくとしよう。そうして踏み出すと同時に、敵襲のサイレンが鳴り響いた。 初日以降にも何度か鳴っており、そのたびにエンタープライズたちが出撃してあっさり蹴散らしたことをイツキは知っている。 どうせ同じパターンさ。そう考えながらも――、イツキはなぜだか嫌な予感がしてならなかった。 もどる |