昔から、不思議と敵がどのような動きをするのか手に取るようにわかった。
 眼前では己と同じ道着姿の弟が、懸命に拳を振るっている。
 見せつけるように、刻みつけるように、的確に弟の正拳突きを捌き、蹴りを捌き、あらゆる攻撃を捌き続けていく。
 弟の焦りが手に取るように伝わってくる。どうして攻撃が当たらない。なぜ。どうして。焦りは時とともに大きくなっていき、動きに少しずつ反映される。
 武闘家であれば、だれしも戦い方に独自のリズムというものを持っている。それを焦りながらもギリギリのところで崩さないでいる弟は、決して弱い相手ではない。
 明らかに格下の相手ならばともかく、そうでない弟の攻撃を捌き続けるのは決して楽なことではなかった。ともすれば己のリズムの方が崩れかねない綱渡り。
 それでもやり続けなければならなかった。自分は弟よりも圧倒的に強いのだと証明しなければならないからだ。
 いよいよ限界が来た。それまで辛うじて維持していた弟のリズムが崩れる。
 起死回生の一手を繰り出そうと踏み込んで来たところを――、弟の顔が来るであろう位置に、拳を置いた。
 ピタッと、ぶつかる寸前で止まる弟。このまま突っ込めば眉間に拳が突き刺さり、反対にこちらが腕を突き出しても眉間に拳が突き刺さる。
 だれがどう見ても"詰み"だった。

「まいり……、ました」

 絞り出すような、弟の降参の声が、しんと静まり返った道場に響く。
 こう垂れる弟。道場の床に、ポタポタと水滴が落ちる。悔しさに涙を流しているのだろう。
 次がこわいなと内心ひやりとする。こうやって悔し涙を流した分だけ、弟が強くなることは兄弟ゆえに誰よりもよく知っている。
 だが、いずれにせよこの場における勝者は己である。完膚無きまでの勝利。それを披露することができた。
 ほら――、ボクのほうが強いでしょう! 笑顔でふり向いた先、母がイツキに向けていた眼は――





 ***






 ピピピと、ベッド脇のテーブルに備えつけられた目覚まし時計のアラーム音と共に目が覚める。
 玖堂イツキはスクッと上半身を起こす。昔から寝覚めが良いのが取り柄だった。
 クッションの効いた――いささか効きすぎな気もするが――やわらかいベッドから下りると、カーテンを開ける。
 窓から降り注ぐ日差しの清々しさとは裏腹に、イツキの心はどんよりとしていた。

(イヤな、夢を見たな……)

 朝の身支度をするため、洗面所へと向かう。籠の中から何枚も入ってる白いタオルを一枚抜き取る。
 玖堂家は代々続く古武術の宗家だった。御前試合――、先祖の御霊の前で後継者の戦いぶりを披露するその試合で、イツキは双子の弟と戦った。
 あれはそう――、7歳の時だ。

「そういえば荷ほどきし忘れてたな。歯ブラシ……も用意してあるんだ。ほんと、至れり尽くせりだ」

 蛇口をひねり、出てきた水道水で顔を洗う。蛇口を閉じ、タオルで顔を拭くと、備え付けの歯ブラシを手に取る。
 結果はイツキの勝利。だが、その戦いを見ていた母の覚えは最悪なものだった。
 昔から弟のほうが母に愛されているという実感があった。
 けれど自分のほうが圧倒的に強いのだと証明すれば、きっと弟より愛されるようになる。
 そんな無根拠な思い込みから、力の差を見せつけるために弟をなぶり倒したことが、母の逆鱗に触れてしまったのだ。
 弟に対してやりすぎた、とはいまでも思っていない。実際の所、彼我の実力は拮抗していた。
 母の件を抜きにしてもあれが戦術的にはベストだったし、仮に弟が精神的に折れなければ、自分のほうが負けていたはずだ。
 しかし元々武術家ではない母にとっては、目の前の光景がすべてだった。
 実の息子に対して、まるで怨敵に向けるような凄絶な形相をした母を、イツキは生涯忘れることはないだろう。
 結局イツキではなく双子の弟が後継者となった上、イツキは分家へと養子に出された。

(そこまでボクのことが嫌いだったのか、お母さん……)

 備え付けの歯磨き粉をつけて、歯ブラシを口に入れると苦味のある味が広がった。
 やはり荷ほどきはしておくべきだったかとすこし後悔する。むかしから甘い歯磨き粉しかダメなのだ。
 養父母との関係はよそよそしいものだった。
 いつかどこかで小耳に挟んだことなのだが、元々本家とは距離を置いていたところに、無理やり己を押し付けられたそうだ。
 しかたがないと心情的には納得できる。それでもよそよそしいなりに上手くやっていけてたつもりだった。
 けれどイツキ本人になんの話もなしに指揮官契約を結んでいたことから、それが単なる勘違いだったとひどく思い知らされた。
 ご丁寧にも三が日後の1月4日に話を伝えられ、その3日後には軍からの迎えが来た。出発の日、養父母は見送りにさえ来なかった。
 人生において、親に捨てられた二度目の瞬間だった。

(あの人らにとって、そこまでして追い出したい存在だったんだな、ボクは)

 歯を磨き終えると、蛇口をひねり水道水を口に含む。冷たい水が歯にしみたが、口をゆすぐ。
 苦い歯磨き粉を洗い流すと、口の中がだいぶスッキリとした。後味は悪くない。
 イツキはふたたび部屋にもどる。クローゼットを開けると、そこにかけられている服を手に取ろうとして逡巡する。それでも意を決して手に取ると、袖を通していく。
 服は採寸された覚えもないのにぴったりと身体にフィットしており、軽く身体を動かしてみるが、これまた動きやすい。
 すぐ横に設置された姿見の前に立てば――、白い軍服を着た己の姿が映っていた。

「……なかなか男前じゃないか、お前もそうおもうだろ?」

 鏡の中の己に話しかければ、苦笑ともつかないぎこちない笑みを返した。
 そこにトントンと扉をノックする音が部屋に響く。まるで狙いすましたようなタイミングでの来訪者だ。

「エンタープライズだ。指揮官、起きているか?」

 ドアから離れていたため大声で応じるイツキ。

「ああ、起きてるよ! いまドアを開ける!」

 玄関へ向かって扉を開ければ、イツキの姿を確認したエンタープライズの瞳に、不安の影が揺らめいているのが見えた。

「おはよう指揮官。昨日はよく眠れたか?」

 が、次の瞬間には、すぐに昨日見た――イツキが知っている堂々たる眼差しのエンタープライズになった。

「おはようエンタープライズ。ああ、よく眠れたよ」

「それはよかった。ちゃんと眠れていなかったらどうしようかと心配していたんだが、杞憂だったようだな」

 先ほどのエンタープライズの不安げな瞳が脳裏にちらつく。
 気になりつつも、己が踏み込んでいいことではないのだろうと、イツキもまた何事もないように振る舞う。

「どこでもぐっすり眠れるのがオレの取り柄なんだ。それで、今朝はどうしたんだ?」

「きのうは結局、この泊地にある施設のすべてを紹介できなかっただろう? 食堂の場所がわからないだろうと思ってな」

「なるほど案内に来てくれたのか。ありがとう、助かるよ」

 イツキが感謝の言葉を述べると、エンタープライズは帽子で目元を隠した。

「礼ならいいさ。秘書艦として指揮官のアシストをするのは重要なミッション。つまり業務の一環ということだ」

 昨日から察していたが、彼女にとって帽子で目元を隠すという動作は、なんらかの意味があるようだった。
 最初は親しくするなというサインかとおもった。が、昨日の戦場で己を認めてくれたときにも同じ動作をしたこともおもいだす。
 つまりは感情が動いたときの癖であって、そこにネガティブな意味はないのではないか?
 ゆえに、この場であえてイツキは軽口を叩いた。

「そして部下が優秀な仕事をしたら感謝するのが指揮官たるオレのミッション、だろ? んじゃ、行こうか。エスコートをよろしく頼む」

「……ああ、着いてきてくれ」

(おっ?)

 フッ、とエンタープライズが笑ったような気がしたが、すぐに背を向けて歩きだした。
 その背中に着いていきながら、イツキは考える。
 表面上フレンドリーではあるが、根っこは上司と部下という関係性を重視する気難しい女性、それがエンタープライズの印象だった。

(でも、そういうわけでもないのかな?)

 不安げな瞳。イツキが彼女との距離感を測りかねているように、彼女もまたそうなのかもしれない。





 ***





 食堂。
 何百人というKAN-SENを収容することを想定して作られたというだけあって、非常に広い。
 次いでイツキの目を引いたのは、先客の姿。ほぼ同時に、あちらもこちらに気がついたようだった。

「にゃにゃ! 噂の新しい指揮官だにゃ? こっちに来ていっしょに食べるにゃ!」

 ブンブンと振り袖を振る猫耳少女。その様子を見て、エンタープライズはふむと呟いた。

「指揮官」

「なんだ?」

「日替わり朝食はAセットとBセットとあるが、どちらがいい? ちなみにAがサンマの塩焼きで、Bがアジの開きだ」

「どっちも魚なんだ……。それならAがいいな。いま不漁らしいし」

「わかった。私は食事を取ってくるから、先に彼女たちと親睦を深めておいてくれ」

 そういってさっさとカウンターへと向かうエンタープライズ。まっこと気が利くKAN-SENである。

「にゃ! 近くで見るとこれまたえらくかわいらしい顔をした指揮官にゃ! ささ、明石の隣にすわるのにゃ!」

 近づけば、なんだかすさまじい勢いで歓迎されているではないか。
 少々困惑しつつも悪い気はしない。さそわれるがまま、隣に腰掛ける。

「ははは、ずいぶんと歓迎されてるな」

 ほがらかな笑顔とともにそういえば、猫耳少女は力強く応じる。

「そうにゃ! あたらしいサイフは大歓迎にゃ!」

「ははは……」

 ほがらかな笑顔が一転して引きつった笑顔となったイツキ。
 なんとも歯に衣を着せないというか――

「――っていうか、サイフ?」

「そうにゃ! 明石はこの泊地でショップを営んでいる明石にゃ! これからはジャンジャンバリバリ明石にお金を落とすにゃ!」

「お、おう」

「きっと指揮官の役に立つことうけおいにゃ! にゃ! にゃ!」

「明石、指揮官さまがお困りになっておられますよ」

 明石の異様なテンションに面食らっていると、ふいに声が聞こえた。
 視線を向けると、テーブルの向かい側の席に少女がひとり。和服姿のウサ耳だ。
 醒めた瞳でこちらを見つめている。

「妾の存在にいま気がついた――。どうやらそのようなご様子で」

「あ、いや……、うん。ごめん」

 イツキが素直に謝罪すると、少女は醒めた表情でかぶりをふる。

「かまいませぬ。妾は影、むしろこのような扱いこそ望ましいといえましょう」

「ぬいぬいは根暗なのにゃー。ちなみに購買の店主をやってるけど、そっちより明石のお店を贔屓してほしいにゃ」

 明石のあんまりな言い草だが、少女は気にした様子もなかった。慣れっこということらしい。

「明石はあいかわらず歯に衣を着せるということを知りませぬな。……改めまして、不知火型二番艦の不知火と申します。どうぞよしなに、この大うつけ……指揮官さま」

「あれ? オレなんかいきなりディスられた?」

「さい指揮官、気にすることないにゃ。ぬいぬいの口がサラッと悪いのはいつものことにゃ」

(こいつまた"サイフ"っていいかけやがった……!?)

「ところで指揮官さま。妾の購買では、お菓子やジュース等の日用雑貨をあつかっております。食べ盛りの指揮官さまにとっては、まことに親しみやすい店だと自負してございます。しかしなにぶん絶海の孤島……、内地よりもお値段が高いのは平にご容赦くださいませ。ちなみに値引きをする気は一切ないのでどうぞあしからず」

 そろいもそろって指揮官に対して敬意の欠片もない連中だった。
 歓迎どころか毟る気まんまんじゃねーかこいつら。
 あきらめたようにイツキは溜息をつくと、気を取り直して自己紹介をする。

「もう知ってるみたいだけど、俺の名前は玖堂イツキ。昨日着任したばかりの指揮官になる。これからよろしくたのむよ」

「よろしゅうお願いします」

「よろしくにゃー。指揮官にはとっても期待してるのにゃ! どうしてか知りたいにゃ?」

 グイグイ来る明石にのけぞりつつ、イツキは答える。

「お、おう。どうしてかな?」

「それは指揮官がまだここにいるからにゃ!」

「まだ……前任者がいたっていう話?」

「そうにゃ! さっさといなくなる根性なしばっかりでうんざりしてたのにゃ! あいつ"ら"ときたら」

「こほん」

 わざとらしい咳払いをしたのは不知火だった。
 思わせぶりな視線の先をたどれば、料理の乗ったお盆を持ったエンタープライズが近づいている。

「おっとっと、明石はお口にチャックしてお暇するにゃ〜。指揮官、明石はいつでもお店で待ってるにゃ。ぜったい来てにゃ〜」

「妾もお暇させていただきます」

「あ、え? うん」

 そそくさと席を立つ明石と不知火。
 イツキが目を白黒させていると、ふいに不知火が耳元でささやいた。

「……前任者のお話は、あの方のおらぬところで、いずれ」

「……!」

「それでは指揮官さま、妾もいつでも購買部でお待ちしておりますゆえ……」

 驚くイツキ。不知火はペコリと頭を下げ、エンタープライズと入れ替わるように明石と食堂を出ていった。

「なんだ、あのふたりはもう帰ったのか」

「ああ、なにかと忙しいらしい。一応、あいさつの方はすませたけど……」

「それはよかった。彼女らはこの泊地の流通を管理している。つまり我らの食を掴んでいるということだな」

「あのふたり、そんな重要な役目を担ってたんだ……」

「だからあまり怒らせるような真似はしないほうが懸命だぞ? ……もっとも、むしろこちらが怒ることのほうが多いんだがな。ラフィーといいうちのKAN-SENはどうしてこう……」

「ははは……」

 乾いた笑いを返すイツキ。あのマイペースなふたりならさもありなんだった。

「っとすまない指揮官。ご所望のAセットだ」

 エンタープライズは料理の乗ったお盆をイツキの前に置くと、そのまま向かいの席に座る。
 ちなみにさっきまで不知火がいた席だ。テーブルの上に置いてあった食器類はなんかでっかいヒヨコが持っていった。

「……ヒヨコ!?」

「饅頭だ。この泊地のこまごまとした仕事を担当している。掃除、料理……。指揮官の部屋に新品のタオルなんかが置いてあっただろう? あれも彼らが取り替えてくれているんだぞ」

「そうなのか……、すごいヒヨコなんだな」

「すごいヒヨコなんだ」

 イツキの言葉にうなずくエンタープライズ。
 謎に満ち溢れた生物であるが、彼らなしで日常生活が成り立たないことはわかった。
 明石たちに並んで怒らせてはいけない相手と心のメモに記録しておく。

「それで話はもどるが」

「うん」

「この食堂は今日のメニューにかぎらず魚料理が多い。それは彼女らが重桜出身であることも無関係ではないだろう」

 意外ではなかった。というのも、着物という何よりもわかりやすい要素があったからだ。

「エンタープライズの出身は?」

 問いかけてから、『答える必要があるのか?』とかいわれたらどうしようと不安になったが、杞憂だったらしい。あっさりと返事がくる。

「ユニオンだ」

「へー……、となると、やっぱり刺し身にはびっくりしたのかな?」

「ああ。初めてのときは醤油をつけることを知らなくてな、明石に笑われたものさ。今では好物のひとつだよ。さ、話はここまでにして朝食をいただこうか」

 「いただきます」と手を合わせるエンタープライズに、イツキも追従する。
 これもまた明石たちに仕込まれたのだろうと、箸を達者につかうエンタープライズを見ながら思った。
 サンマの塩焼きに舌鼓を打ちながら、イツキは先ほどの明石たちの態度を振り返る。

(前任者ね……)

 昨日その話が出た瞬間、エンタープライズが浮かべた緊張した表情。
 直後の敵襲で話が流れたことでホッとしたような態度。
 そして今日。

(これは、遠からず話を聞きに行く必要があるな)

 イツキは静かに決意するのであった。





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