『――指揮官、船酔いはしていないか』

「……ああ、だいじょうぶ」

 スピーカーから聞こえる、エンタープライズの声に生返事をするイツキ。
 先導するように海を走るエンタープライズたちKAN-SENの姿が、モニターに映っている。

『……このあたりの海域はとってもあらい。これで酔わないなら、指揮官に船酔いのしんぱいはない……』

 と、荒い海を物ともせずぐんぐん進んでいくラフィー。彼女のいうとおりイツキが乗っている船の揺れは実際大きい。
 かなりの強風が吹き荒れているだろうに背筋をしゃんと伸ばしている姿に、やはり人類とはちがう存在なのだなあと再確認するイツキ。
 玖堂イツキは船に乗っていた。いちおう大砲のついた立派な船だったが、戦艦と呼ぶにはちいさすぎるらしい。なんでも指揮官専用の船だそうだ。
 そのCIC。指揮官席――というか、それしかない――にイツキは座っている。自動運転なので基本的にやることはない。
 ただ、眼前には複数のモニターが並んでおり、エンタープライズたち艦娘の装備やら状態やら位置やらのデータが可視化されており。
 これらを見ながら必要であれば適宜指示を下すことになっている、とエンタープライズの説明。

『なに――、指揮官は肩の力を抜いて私たちの戦いを見ていてくれればいいさ。まずはなにより、戦場の空気に慣れるところからスタートだ』

 スピーカーから聞こえるエンタープライズの声に安心するイツキ。
 いきなり戦場に連れ出されたのには唖然としたが、さすがに初陣でイツキが活躍できるとは露ほどもおもっていないようだ。
 ここに来るまで、関わった軍人たちは過剰なほどイツキに期待を寄せていた。
 そのせいでエンタープライズたちからも、いきなり何かしらの成果を求められるのではないかとヒヤヒヤしていたのだ。
 初陣への不安は根強くあるものの、懸念のひとつがなくなって幾分か気持ちが楽になった。

「ま、せいぜいふたりの活躍を特等席で見物させてもらうよ」

『ああ、期待していてくれ』

 マイク越しに発したイツキの軽口に、エンタープライズもまた軽い声で応じる。直後、声のトーンを落とす。

『……すまないな指揮官。本来は、もうすこし泊地の空気に慣れさせてから初陣に出すつもりだったんだが……』

『……おそかれはやかれ、指揮官はいちど戦場に出るひつようがある。なら、はやいほうがいい』

 眠そうな声。ラフィー。曰く、KAN-SENは指揮官が近くにいればいるほど力を発揮できる。ということらしい。
 もちろんすべての戦場にこうして指揮官が赴くことはないそうだが、赴く機会がある以上はある程度慣れる必要がある。

『これは、さしずめ通過儀礼……』

『しかしだな』

『……賽をなげたのはエンタープライズ。半端なことをするくらいなら、さっさと腹をくくるべき』

 ラフィーの言葉に押し黙るエンタープライズ。

(……ん?)

 眉をしかめるイツキ。エンタープライズが己の初陣に反対しているのは肌で感じていた。
 だが、賽を投げたというのはどういうわけか。わけがわからぬまま、ラフィーの声。

『それに――、もう戦いからはにげられない……』

 艦に設置されたカメラのひとつ。前方カメラが、ラフィーの背中の向こうに見える影をモニターに映し出した。
 小柄な少女と比較すればあまりにも巨大な――巨大過ぎる影に、イツキは呆然とつぶやく。

「でかい……、あれが戦艦?」

『いや、あれは駆逐艦だな。サイズとしては……厳密にはちがうんだが、最小サイズの軍艦という認識でかまわない』

 エンタープライズがいった通り、モニターには『艦種名:駆逐艦』と表示された。
 さらに詳細な敵艦のデータが表示される。――船幅10メートル。全長110メートル。
 そしてその下に表示されたさらなる情報に、イツキは頬を引きつらせる。
 『艦種名:重巡』。船幅19メートル。全長180メートル。
 『艦種名:戦艦』。船幅28メートル。全長210メートル。
 すべて合わせて12隻の艦隊が、イツキたちに向かってきている――。
 生まれも育ちも海なし県のイツキにとって、船のサイズなんてものは最大でも川を走るモーターボートが基準だった。
 それがいま乗っている船の時点で、己が把握していた中で陸上最大の乗り物である大型トラックより大型の全長30メートル。
 艦としては最小サイズらしい駆逐艦はそれよりさらに3倍以上大きく、かつて空港で見たジャンボジェットよりも大きいときたもんだ。
 まさに桁違いのスケール感だった。自分よりも巨大なものに対する単純にして根源的な恐怖が、危機感となってイツキに迫る。

『指揮官、こわい?』

「うん」

 反射的に答えていた。
 口にしてからハッとするイツキ、ここはウソでも威勢がいいセリフのひとつでも吐くべきだっただろうか。
 だが――、距離が近づくにつれて敵の威容がますますハッキリする。巨大な砲塔がこちらに向けられるのを見て、おもわず息を呑む。

『そう。なら信じて』

「……え?」

『指揮官が信じるなら、ラフィーたちはいくらでも戦える』

 困惑するイツキに、ラフィーは繰り返す。ハッキリと、確固たる意志を込めた声で。

『信じて』

 そういって、迫りくる艦隊に恐るべき速度で突貫していくラフィー。
 装備している艦砲の砲塔を見るかぎり拳銃なんかよりもずっと太いが、それでもあんな大きな鉄の塊にダメージが通るようには到底おもえない。
 かといって己にやれることはなかった。神に祈るとしても、我が家の氏神は己を守ってはくれなかったので祈る神がいないのだ。
 不安と共に見つめるイツキ。ラフィーの砲塔から閃光が迸り――、駆逐艦の艦首が大爆発した。

「……は?」

 そのまま立て続けに2〜3回ほど砲弾が撃ち込まれ、爆炎と共に沈んでいく駆逐艦。
 イツキが唖然としている間にも、ラフィーは撃沈した艦に一瞥することなく後方に控える艦へと躍りかかった。
 今度はさらに大きな重巡だ。さすがに駆逐艦ほど簡単に沈められないようで、敵の砲弾を避けながら果敢に砲撃をしている。

『なるほど、敵艦隊の航空支援は不在、か。舐められたものだな』

 ラフィーの斜め後方に位置するエンタープライズは、眼前で繰り広げられる常軌を逸した光景をまったく気にも止めていない様子だ。
 淡々と照準器のついた弓に矢をつがえる。まさかまさかとはおもっていたが、それで敵艦を沈めるというのか。
 が、事態はイツキの想像の遥か上をいった。射出された矢が、なんと戦闘機になって飛んでいったのだ。その数、およそ12機。
 あんぐりとモニターを眺めていれば、戦闘機の光点が通り過ぎると同時に、敵の光点がレーダーから消えた。
 カメラからもたらされる映像では、戦闘機からパラパラと豆粒みたいなものが投下されると同時に、天まで届くような水柱を上げて沈んでいく重巡が見える。
 ラフィーの攻撃が点であれば、エンタープライズの攻撃はさしずめ面である。ゴミのように沈められていく敵艦隊。
 ここまでわずか3分にも満たない出来事である。――圧倒的ではないか、我が艦隊は。

「……って、ラフィー!?」

 などと感心している場合ではなかった。
 戦闘機が爆弾を盛大に落としたあたりは、ラフィーが戦っていたポイントではないか。
 座席から身を乗り出すイツキ。スピーカーからは眠そうな声が聞こえてきた。

『……海水がかかって、しょっぱい』

「え、そんな感じですんじゃうの? っていうか無事だったか!」

『これくらいで沈むようなやわなヤツじゃないさ』

 なんてことのないような口調。
 それがエンタープライズのラフィーに対する確かな信頼を感じさせた。
 濡れ鼠になったラフィーが戻ってくると同時に、ふたたび敵影が遠くに浮かんで見える。
 レーダーを見るかぎり、この艦隊を沈めれば終わりのようだ。
 データがリンクされているエンタープライズも、そのことはわかっている。

『さて、もう一踏ん張りだな。私の再装填が終わるまで露払いをたのんだぞ、ラフィー』

『りょうかい……』

 ふたたび敵艦隊へ踊りかかっていくラフィーを見ながら、ゆっくりと座席に腰掛け直すイツキ。

「すごいな……」

 本日何度目だろうか。唖然、とつぶやくイツキ。
 おおよそ少女の拳サイズの砲から放たれた銃弾を受け、盛大な爆炎と共に沈みゆく敵艦。
 常識を因果地平の彼方へ蹴っ飛ばしたような光景を眺めながら、納得する。

「人類の救済者、か……」

 もっとも、その評価は己ではなく、眼前で力を振るう彼女たちにこそ送られるべきものだと思うが。
 いずれにせよ、この場において己が心配することは何一つ存在しないようだ。
 先ほどまでの危機感はどこへやら、すっかりリラックスした姿勢でKAN-SENたちを見守り始める。
 KAN-SENたちの活躍を前に、「すげーすげー」と小学生並みの感想を抱きながら――、イツキはふと違和感を覚えた。
 観察するかぎり、敵の艦隊は団子になってひたすら前進してくるだけだった。
 こちら側の戦力がKAN-SEN2人しかいないことを考えれば、数を頼りに押し込んでくるのはむしろ合理的な戦術ともいえる。
 そもそもセイレーン最大の武器は"数"だという話は聞いていた。
 無尽蔵ともいえる兵力があればこそ、人類は一時期その生存圏を危ぶまれるまでに追い込まれたのだという。
 そうだ――、連中には"数"という最大の武器があるのだ。だというのに、どうしてわざわざ部隊を小分けにして攻撃させているのか。
 肌が粟立つ感覚。
 気がつけばイツキは叫んでいた。勘だった。どこかで俺たちを観察している奴がいるという。勘。そしてその位置は。

「ラフィー! 南南西に向かって全力で攻撃を放ってくれ!」

『わかった』

 一切のタイムラグなくイツキの指示に従うラフィー。右腰の艦砲から銃弾を、左腰の長方形の箱から魚雷を発射した。
 レーダーにもカメラにも何もなかったはずの場所が爆発する。仮面を付けた少女が、忌々しげな表情で爆煙を右手で振り払うのが見えた。

『なっ!?』

 エンタープライズの驚いた声。
 レーダーには新たな光点。あのKAN-SENらしき仮面を付けた少女のものであろう。
 カメラの先、仮面を付けた少女は右手に握った艦砲を足元に向けた。同時に大きな水しぶき。

『自爆か!?』

『ちがう、あれは足元を撃って水を煙幕代わりにしただけ』

 ラフィーの言葉どおり、しぶきの向こうにはこちらに背を向けて全力で逃げる少女の姿。

『……指揮官、追撃する?』

「いや、やめておこう」

『……どうして? あいつを捕まえて尋問でもできれば、えられるものは多いはず』

 ラフィーのともすれば詰問するような口調に、イツキはよどみなく答える。

「モニターに表示されたデータでは、あいつの船速はうちで最速のラフィーよりも上だ。まず撒かれる。最悪の場合、逆に敵陣に引きずり込まれてこちらが捕虜にされかねない」

『……なら、だまって見逃す?』

「だからこうしようと思う。エンタープライズ」

『あ、ああ。わかってる』

 イツキの言葉を察し、矢を放つエンタープライズ。戦闘機は少女が逃げ去った方へ飛んでいった。

「すくなくとも、ただでは逃がさない。これでどうだ、ラフィー教官」

『……とりあえず合格』

 そういってどこからともなく取り出した赤ワインのビンを煽るアル中ウサギ。
 いきなり口出ししたことを怒られるかと思ったが、それどころか試されてしまった。
 己の判断にまちがいはないと信じていたが、こうして実際に合格を言いわたされれば安心するのも事実だ。
 と、ホッとしたのもつかの間、はたとエンタープライズが難しい表情をしていることに気がついた。

「ご、ごめんエンタープライズ!」

『……なにがだ?』

「いや、初陣なのにいきなり口出ししてさ。前任者がいたってことは、もうこの海域でずっと戦ってきたんだろ? ならエンタープライズたちなりのやり方もあっただろうし。気分を悪くしたかな、って……」

 最初から親しげなラフィーと異なり、エンタープライズはどうも気難しい人物という印象があった。
 それが難しい表情をしているのだ、怒っているのではと考えるのは自然だろう。
 しかしエンタープライズはイツキのおそるおそるの問いかけには答えず――、逆に質問を投げかけてきた。

『指揮官、ひとつだけ訊きたいことがある』

「なんだ?」

『あのKAN-SENだが、どうしてあそこにいるとわかったんだ?』

 キョトンとするイツキ。モニターの向こうのエンタープライズは、真剣な眼差しをしている。
 ならば己も真剣に答えなければなるまい。居住まいを正し、口を開く。

「勘だよ」

『……勘?』

「ああ、勘だよ」

 イツキにとって、闘争の場でこれ以上に頼れるものは存在しなかった。
 大前提として、それまでに積み上げてきたものがあって、初めて賭けることが出来るものだとも思っている。
 そして間近で見たエンタープライズたちの強さは、充分すぎるほどそれに値するとイツキは判断した。
 とまで話して、「それがどうした?」と問いかければ、エンタープライズは帽子で目元を隠し、宙を仰いだ。

『……気分を悪くしたか、だったな』

「ん? うん」

『むしろ――、感服した。状況判断力はすでに一線級だと自信をもってくれていい。改めて、これからよろしくたのむ。――イツキ指揮官』

「……え? あ、ああ!」

 なにがエンタープライズの琴線に触れたのかはわからないが――、とりあえずは認めてもらえたようだった。

『……それじゃ、かえろ。ラフィーたちの泊地に』

 レーダーに敵影なし。
 身を翻したラフィーたちの動きに合わせ、イツキが乗る船も泊地へ向かって舵を切るのであった。




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