大きな門扉が、高くそびえ立っていた。 どこか現実感のないまま、玖堂イツキはそれをボケーと見上げている。 「この門扉より先が、今後は上官殿の職場であり、住居となります」 背後から聞こえる声に、イツキは振り向く。そこには鋭い目つきをした軍服姿の男が立っている。 「自分が同行できるのはここまでです。これより先は、指揮官である上官殿のみ入ることが出来ます」 「え……、綿貫さんは着いてこれないんですか?」 綿貫傑大尉。 彼はこの泊地に至るおよそ3日がかりの大移動中、お付きとしてずっと随伴してくれていた人物だった。 いきなり離れ離れになると知り、不安げに問いかけるイツキに、綿貫大尉は粛然と答える。 「はい。まずは入ってまっすぐ先にある、指揮官官舎をお訪ねください。そこの出入り口に案内役のKAN-SENが待っている、という話です」 「それと……」と綿貫大尉はつづける。 「敬語はおやめください、自分はあなたの部下として配属されたのですから」 暫定中将。それがイツキの海軍における肩書だった。権限こそ持たないが扱いは中将と同等、そういう扱いだという。 軍隊においては大将に次ぐ階級の雲上人。本来なら大尉ごときがおいそれと話せる存在ですらないそうだ。 綿貫大尉は道すがら何度も説明してくれたが、イツキにしてみればそう簡単に割り切れるものではない。 年上というのもあるが、彼は然るべき努力をして、然るべき試験を受けて、然るべき審査を経た上で軍人になった人物だ。 そんな人が、ただ適正があるというだけで指揮官になった己の部下、あまりにも恐れ多かった。 「いえ……、だとしても、ここまで運んでくれてありがとうございました」 とっさに頭を下げようとするイツキを手で制すると、大尉はやんわりとした口調で言う。 「上意下達は軍隊の基本。すなわち上官に従い尽くすのが軍人というものです。そしてそれはKAN-SENも例外ではありません。では、ご武運を」 口調とは裏腹に有無を言わせない様子で車に乗り込むと、すぐに発進させる大尉。 遠ざかる車のシルエットを眺めながら、イツキはひとりごちる。 「……このあつかいにも早く慣れろ、ってことなのかな」 こちらの弱気くらい見透かされているかとため息をつくと、ふたたび門扉に視線を向ける。 すると見計らっていたかのように、ガラガラガラと音を立てて門扉が横に開いた。 周囲に視線を走らせるかぎり、守衛室もなければ監視カメラのたぐいも見当たらない。 KAN-SENたちには特別な力が備わっていると話には聞いていたが、これもその一端なのだろうか。 (指揮官しか入れないっていうのは、こういうことだったのか) イツキはあくまでも軍規的な縛りだと思っていたが、物理的な話でもあったのだ。 門扉の先には曲がりくねった並木道。その先に、指揮官官舎らしき建物が見える。 だれにもなんの説明もされていないのに、"あれがそうなのだ"と何故かイツキは理解していた。 敷地に入ろうと右足を持ち上げて――、イツキの身体に震えが走った。 (ほんとうにやっていけるのか? ここで? これまでどこにも居場所をつくれなかった、このボ……このオレが) 選ばれし者。人類の救済者。それが政府広報による指揮官適正者だ。 ここまで移動する際、周囲にいた軍人たちの態度もまるで最高機密の超兵器でも扱うような慎重でうやうやしいものだった。 プロパガンダ込みで多少おおげさに持ち上げられている面もあるのだろう。 が、それを抜きにしても己がそのような存在だと、イツキにはどうしたって思えなかった。 (だとしても――、いまさらさ) にわか沸き上がった怯懦をねじ伏せるように、イツキは敷地内に足を踏み入れた。 いずれにせよ、イツキに帰る場所などないのだから。 *** 堂々とした眼差しが印象的な女性だった。 身長はイツキより頭一つほど大きく、引き締まった手足は女性らしいしなやかさを感じさせながらも、よく鍛え上げられているのがすぐわかった。 抜群のスタイルを誇示するかのように大きな胸を張り、ビシっと敬礼をする。 「お初にお目にかかる、指揮官。私はヨークタウン型航空母艦のエンタープライズだ。本日この瞬間より私は指揮官のKAN-SENであり、その眼前に立ちふさがるあらゆる敵を屠り、勝利のみをもたらすと約束しよう」 指揮官官舎玄関前。出会い頭の力強い宣誓に面食らいつつ、イツキもまた自己紹介する。 「こちらこそ初めまして。えーと、もう知ってると思うけど、オレは玖堂イツキっていうんだ。よろしく」 「ああ、これからどうぞよろしく頼む」 エンタープライズは口元に笑みを浮かべると、敬礼していた右手をスッとイツキに差し出す。 あわててイツキも手を差し出すと、ぎゅっと握られた。 思いのほか力強く握られて一瞬眉をしかめるが、それよりもエンタープライズの顔がすぐ目の前にあることに気がついて、頬が熱くなるのを感じた。 とっさにうつむくイツキ。それというのも、エンタープライズがとんでもなく美人だと今さらのように気がついたからだ。 しかしそんな照れているイツキにエンタープライズは気がついていないようで、つつがなく握手を終える。 「それでは指揮官。つぎは施設について説明をするから、私に着いてきてくれ」 銀の長髪をなびかせ、親しげな様子できびきびと先導しはじめるエンタープライズ。 その斜めうしろにつづくイツキ。胸中にあった怯懦はすっかり消え去っていた。 美人の女性に歓迎された。たったこれだけのやりとりで不安が吹き飛ぶのだから、己という男は単純なものだ。 (これなら、うまいことやっていけるかもしれない) 気持ちが軽くなったぶんだけ、口も軽くなる。 無言でいるのもはばかられたし、なにより今後は共に仕事をする中である。相互理解を深めるべく口を開く。 「……そういえば、えーっと」 「ああ、私のことは呼び捨てでかまわない」 「わかった、エンタープライズ。オレのことも気軽にイツキと呼んでほしい」 直後、エンタープライズの顔から表情が消えた。サッと帽子で目元を隠す。 「それは出来ない」 「どうして?」 「指揮官が私たちKAN-SENの上官だからだ」 エンタープライズから返ってきたのは、きわめて杓子定規な言葉だった。 その態度からは、先ほどまでたしかにあった親しげな様子が一切かんじられない。 あまりの豹変っぷりにうろたえつつ、イツキは抗弁する。 「だけど、ここにはボ……オレと君たちしかいないんだろう? 仲良くしていきたいし、すこしくらい砕けても……」 「ダメだ」 「うっ」と言葉に詰まるイツキ。まったくもって取り付く島もない様子で、エンタープライズは続ける。 「……組織において大切なのは、たがいがたがいに敬意を払うことだとおもっている。指揮官と呼ぶのは、それが私の敬意の形だとおもってほしい」 おまけに敬意だとまでいわれてしまえば、こちらもこれ以上いえることはない。 綿貫大尉といい、軍人というのは階級に対して並々ならぬこだわりがある、ということなのだろうか。 「わかった。ムリをいってごめんな、エンタープライズ」 「……ご理解いただき、感謝する」 ペコリと会釈するエンタープライズだが、その目元は帽子に隠れてみえなかった。 「……それと、安易に謝罪するのはやめたほうがいい。あなたはこれからリーダーになるんだ。リーダーが安易に頭を下げれば、そのぶんだけ低く見られてしまう」 「う、うん。忠告ありがとう。気をつけ……」 イツキがぎこちない笑顔で感謝の言葉を述べる間もなく、エンタープライズはそそくさと歩き始める。 あわてて早足で追いかけるイツキ。 (やばい……、いきなり怒らせたか?) よくよく考えれば、たった一個上というだけで他人に「死んでこい」といえてしまうのが軍隊の階級だ。 それをこれから上官になる己がなおざりにしていたのだから、綿貫にしろエンタープライズにしろ良い気はしないだろう。 振り返ってみれば出会い頭の言葉もやたらと気張った感じだったし、おもいのほか気難しい女性なのかもしれない。 鈍色の空。外の道を歩きながら、認識が甘かったなとイツキが反省していると、ふいにエンタープライズ。 「ところで指揮官」 「なんだ?」 今度こそミスれない。内心ビクつきながら返答するイツキに、エンタープライズはどこか言いづらそうに問いかける。 「その……、気を悪くしたらすまないのだが……。ずいぶんとお若く見えるが、おいくつで?」 「え?」 予想外の質問にキョトンとするイツキ。 「そっちに、情報いってないのか?」 「その……、指揮官に対して先入観をもたないようにするための措置で、名前しか伝えられないことになってるんだ」 「ふーん」 そういうものなのかとイツキは納得すると、エンタープライズの質問に答える。 「12だよ」 「……12?」 ピタッと、エンタープライズはその場に立ち止まった。 眼をパチクリさせ、信じられないことを聞いたといわんばかりの表情だ。 「そ、その年齢なら、この国ではまだ義務教育だと聞いていたが? いや、そもそも12だと……? そんな子どもを、どうしてこんなところに……?」 眉をしかめてぶつぶつと呟き始めるエンタープライズ。 客観的に考えればその通りなのだろう。良識のある言葉なのかもしれないが――、ムッとするイツキ。 「中学なら卒業してるよ。指揮官適正が認められた場合、早期卒業させてもらえる制度があるんだ」 胸を張っていうイツキだが、実はひとつウソをついていた。 (ほんとうは来年から中学生なんだけどね……) ますます眉をしかめるエンタープライズに一瞬バレたのかとおもったが、次なる言葉で杞憂だと悟った。 「たしかに我々の立場としては、一日でも早く来てくれたほうがありがたかったが……。ご両親はなにもいわなかったのか?」 「特になにも? むしろ喜んでくれたよ。お国のために殉じてきなさいって、万歳三唱で送り出してくれた」 「それは……」 「まあ、その話はいいじゃないか」 エンタープライズはまだ何か言いたげな様子だったが、それに被せるようにイツキ。 「それよりエンタープライズ、さっきからどこに向かってるんだ?」 エンタープライズの瞳を見つめる。この件についてはこれ以上話す気はない、という意思を込めて。 交差する視線。やがて根負けしたようにエンタープライズは口を開いた。 「……ドックだ」 「そこはなにをする施設なんだ?」 「戦場へ出撃待ちのKAN-SENたちが待機する場所だ。ぜひとも最初に見ておいてほしくてな」 戦場――、比喩表現として使われることの多い単語だが、この場合は本物である。 直接的な生き死にのかかった場であり――、指揮官たる己がKAN-SENたちを送り出すことに思い至った。 先ほどのようなあまい認識でたわけたことを口走れば、一気にエンタープライズの信頼を失いかねない。 おもわず表情を引き締めるイツキを知ってか知らずか、ぽつりとエンタープライズはつぶやいた。 「……それに、あそこならあいつもいるだろうしな」 「あいつ?」 「……実は、この泊地にはもうひとりKAN-SENがいるんだ。ほんとうは今日も一緒に指揮官を出迎えるはずだったんだが……」 まるで痛みをこらえるように眉間を押さえながら、言いづらそうにいうエンタープライズ。 軽くかぶりを振るうと、気を取り直した様子でつづける。 「まあ、会ってみればいろいろとわかるはずだ。行こう」 ふたたび先導し始めるエンタープライズに、イツキは着いていくのだった。 *** 第一ドックと書かれた海沿いの建物の中に、イツキとエンタープライズは入っていった。 壁際に何やら整然と置かれているのは、KAN-SENたちの装備品だという。 奥の方は傾斜し、そこから先には海水が入り込んでいる。装備を終えたら、ここから出撃していくのだそうだ。 そして第一ドックの隅っこ――、四角い箱の上に、ひとりの少女が足を投げ出して座っていた。 左手に持った赤い液体の入ったビンをぐいっと煽ると、ぷはぁと息を吐いて、ようやくイツキ達が見ていることに気がついたらしい。 眠たそうな眼をこちらに向けて、小首をかしげる。 「エンタープライズと……、だぁれ?」 「だぁれ? じゃないだろう! 今日は指揮官が着任するから、私と迎えに出るよう昨日説明しておいただろうが! なにをやってるんだお前は!」 「ワインのんで……寝てた」 「おまっ……! お前の乱れた生活に関してどうこう云う気はないが、せめてこういう日くらいはしゃんとしないか!」 ガミガミと怒るエンタープライズだが、銀色の髪をツインテールにした小柄な少女はどこ吹く風だ。 ウサギの耳を模したウイッグや眠そうな瞳といった外見から、ゆるふわそうな第一印象だったが、中身はどうにもふてぶてしいようだった。 このままではいつまでもこのやり取りを続けそうだと、イツキは介入することにする。 「あ、あのー。エンタープライズさん?」 「ん……、ああ、すまない指揮官。お見苦しいところを見せてしまった」 「それはべつに構わないが。こちらの方は?」 「こいつは……、おいこらそこのアル中、せめて自己紹介くらいは自分でしろ」 「アル中呼ばわりとはしつれいな……。ワインを飲むとシャキッとするから欠かせないだけなのに……」 「それをアル中というんだ、ほら早くしろ」 少女は眠そうな眼をイツキに向けると、ぴょんと箱から下りて、形ばかりの敬礼をする。 着ているパーカーの片側はずり落ち、左手にはワインのボトルが握られているのが、これまたなんとも締まらない。 「ベンソン級駆逐艦の『よく期待されてた』ラフィー。……よろしく」 イツキに対して、一切の興味が感じられない眼だった。 しかし嘆くことではない。目上の人間に対する認識なんてのは基本こんなものだと思う。 己だって進学に応じて担任の教師が変わったところでなんの興味も示さなかった。 変わるとすれば、これから。これからゆっくりと、出来る範囲で信頼関係を築いていけばいい―― 「……で、この人はだぁれ?」 ――というかイツキに対して興味がないどころの話ではなかった。 そもそもエンタープライズの話すらまともに聞いてねえぞ、このウサ耳娘。さっき説明しただろうが。 「お前ってやつは……!」 エンタープライズは眉間に皺を寄せたが、すぐになにかを諦めたようにため息をついた。 「本日着任した……」 にわかに言葉を濁すエンタープライズ。チラと視線を向けられ、イツキは小首をかしげる。 「……"新しい"、指揮官だ」 エンタープライズの言葉に、ようやくイツキの存在に興味を示したらしいラフィー。 眠たい目で遠慮なしにジロジロと見つめてくる。次はまたぞろ年齢のことを突っ込まれるのだろうかと身構えるイツキ。 しかし、ラフィーからの反応は予想外のものであった。 「……ふーん」 刹那、ラフィーの瞳が細められると、ピリッとした殺気が肌を打った。 かつて道場で幾度となくぶつけられたそれに、つかの間の感傷を覚えるイツキ。 そしてそれに対する対処法を、イツキは心得ている。 跳ね返すのでもなく、受け止めるのでもなく、ただ静かに瞳を見つめ返す。 ラフィーが元の眠たそうな瞳に戻ったのは、すぐのことだ。 「……命令にはしたがう。戦闘があったらいつでも呼んでほしい。……そこそこ役に立つ、とおもう」 先ほどよりもどこか親しげな声色で、ラフィーはそういってワインのボトルを煽った。 「ラフィー……!」 エンタープライズが怒ろうとするのを、イツキは右手で制した。 「いいんだ、エンタープライズ」 「しかし、指揮官に殺気を向けるなどと」 「これからイヤでも殺気を向けられることが仕事になるんだ。やっていけるか俺を試してくれたんだろう? ラフィー」 「……すきなように解釈してくれればいい」 「じゃ、そう解釈する。そういうことだからエンタープライズも気にしないでいいよ」 殺意なんてものは日常のどこにでも潜んでいるものだ。 そして実態のない殺意など恐れる必要がない。そういうことを、幼いころ徹底的に仕込まれた。 仕込むだけ仕込まされて、結局本来の用途で活かされることはなかったが、このような形で役に立つのだから人生分からない。 しかしエンタープライズは依然として怒り心頭といった様子だった。イツキは話を逸らしにかかる。 「ところでエンタープライズ。"新しい"ってことは、オレの前に指揮官がいたのか?」 途端――、エンタープライズからふたたび表情が消えた。どころか緊張した面持ちだ。それをサッと帽子で目元を隠す。 またかと眉をしかめるイツキ。エンタープライズから言葉を発する気配がしたその矢先だった。 ジリジリジリジリと、けたたましい音が建物内に響き渡ったのは。 「な、なんだ?」 目を白黒させるイツキ。 対象的に一瞬エンタープライズがホッとした表情を浮かべたように見えたのは気のせいか。 次の瞬間には眉をキリッとさせ、真剣味に満ちた表情となる。 「一体なにが……?」 イツキがエンタープライズに問いかけるより先に、くいっと右袖が引っ張られた。 視線を向ければ、ラフィーが上目づかいで見つめている。 「敵襲……いこ」 「敵襲? じゃあこの音は警報……」 どおりで耳障りな音だと納得するイツキ。いこ、ってのは……行こ? 「……どこに?」 「もちろん――、戦場へ」 そういってラフィーの口元にちいさく――けれど心の底から楽しそうに浮かんだ――獰猛な笑みを、イツキは生涯忘れることはないだろう。 もどる |