爽やかな朝のはずだった。
 きっと今日はなにかいいことがあるにちがいない。無根拠にそうおもえるような、そんな朝。
 だというのに、指揮官である自分に割り振られた宿舎の部屋を出て、廊下を歩いていると――、"それ"は起きてしまった。

「おはようございます、指揮官様。そちらにいらっしゃるのは……」

「……ラフィー。……ひさしぶり、とでもいうべき? 比叡」

 ゴゴゴゴゴ……と、禍々しい空気が漂っていた。
 脂汗を流して立っている指揮官を真ん中に、右にはラフィー、左には比叡。
 少女ふたりの薬指には、きらりと輝く真新しい指輪。
 俗にいう修羅場――

(――な、だけだったらまだ楽だったんだけどなあ)

 遠い目をする指揮官。
 眼前の少女らは艦娘であり、特例的に重婚をすることが許された存在である。
 もちろん結婚した娘同士間で思うところはあるだろうが、あまりにも特定の娘に対する指揮官のえこひいきが過ぎないかぎり、表に出してはならないという不文律がある。
 同時に彼女らには艦であった時の過去が存在し、それにまつわる問題がある場合には、派手にやりあっていいという不文律もあった。
 何故そんな物騒な不文律があるのか彼には不可解だった。が、艦娘たちが定めたルールに口出しはしないという、指揮官たちが定めた不文律に則り彼は置物に徹する。
 そう、断じて嫁ふたりから放たれている禍々しいオーラにビビっているわけでないのだ。

「ええ。ええ。よく存じておりますわ。あの戦場で、"駆逐艦だてら"に"戦艦"の私を追い詰めた若い娘ですよね。ふふふ、ご立派なものですわ」

 いつもの優雅なほほ笑みを浮かべながらも、目が一切笑ってない比叡がそう言葉を発せば。
 いつものように無表情ながら、いつになく強い意志と、どこか優越感を感じさせる鋭い眼光と共にラフィーがこう切り返す。

「べつに……、あれはラフィーだけの戦果じゃなくて、"誤射する"ような無能な味方がいなかったから残せただけ……。むしろ、そのせいで歴史ある"戦艦"が新造の"駆逐艦だてら"に追い詰められてしまったことに同情する……」

 彼女らが干戈を交えた第三次ソロモン海戦は大混戦で有名であり、"日米ともに"現場は誤射誤報の嵐であった。
 それを踏まえて先の会話を解説すると、『状況に"助けられて"たまたま"ワンチャン"決められたみてぇだが、テメェみてぇな"ワカゾー"、"タイマン"張ったら"一発だから"よォ……? 調子くれてんじゃねえぞ?(ビキィッ』という比叡に対して、『"言い訳"しないと"喧嘩のひとつ"もできないんすか……、"シャバい"っすねぇセンパイ……?(ビキビキィッ』と返したラフィー、という構図だ。つまりは――、宣戦布告である。

「「あ?」」

 迸る殺気。
 もはや風圧すらともなうそれがぶおうっと廊下を駆け抜けていった。
 揺れる宿舎。窓ガラスはひび割れ、蛍光灯は破裂し、天井には亀裂が走りパラパラと破片が落ちてくる。
 新築である宿舎が、たったふたりの少女が放つ殺気によって、加速度的な勢いで崩壊していく。
 それは少女たちが決して戦場以外で見せることのない、戦鬼としての姿。
 どれだけ鍛え上げようと、たかが人間など簡単に殺せるであろう、圧倒的な武威の前に晒された指揮官は、果たしてなにを思うのか――

(――ああ、朝飯もまだ食ってないのになんでこんな大変なことに……)

 わりとどうでもいい感じだった。
 指揮官的には、少女たちが自分とは隔絶した存在であることは知識の上であってもとっくにご存知であったし、それよりこの宿舎の有様を上にどう報告するかの方が圧倒的に胃が痛い。いっそ自分の手で壊れた箇所を全部直すことで隠蔽を図ってみたり……、いやさすがにそれはムリだよなあ……。隠蔽するのは当然として、そもそもが指揮官はもちろん数百人の艦娘が暮らせる宿舎なのだ。規模に対して手が足らなすぎる。ってか他の部屋の娘たちも止めに来いよ。いくら不文律でもお家こわれちゃうよ? いいの?

(ところで、俺はいつまでドアノブを握っていればいいのか……。最初の殺気で軽く数メートルふっ飛ばされてから、だれかの部屋の扉のドアノブにしがみついたはいいんだが……。正直そろそろ握力の限界が……)

 しかし指揮官が愚にもつかないことを考えている間にも、事態は進展していく。
 天井知らずに膨れ上がる殺気の中、どこからともなく装備を取り出すラフィーと比叡。
 いかんいかんいかん! いくら不文律であってもやはり暴力沙汰はいかん!
 ドアノブに掴まって鯉のぼり状態になっている指揮官も、事ここに至りて思考回路をフル回転させる。

(ちくしょう! 一体ぜんたいどうしてこうなっちまったんだ! ふたりの仲が良くないであろうことくらいは想定していたさ! だから結婚式の日取りは別にしたし、結婚後はふたりがかち合わないようにスケジュール管理には気を配ってた! ふたりが志願してくれた朝のお迎えも交互に来るようにセッティングしてて今日は比叡の予定だったんだけどその前日の夜にラフィーから「そい寝したい」っておねだりされたからオッケーしてついでに夫婦の営みもしたから早起きして朝食前にシャワー浴びようと部屋を出たら比叡とばったりってはい実はぜんぶ俺のせいでーす☆ 昨日の俺、死ね! でもしょうがないじゃーん、普段ダウナーな感じのラフィーに上目遣いで、「だめ……?」なんてお願いされたらさー、だれだって落ちるじゃーん? ちなみに比叡とは結婚したけどまだイタしてませーん。というかラフィーとも本当はまだする気はなかったんだけどついヤッちゃいましたー。あれ絶対そのことにも気づいててブチ切れてるよねー。とかいってる間にいよいよヤバい!? こらラフィー! 仲間に砲塔向けんな! 比叡さんも刀の鯉口を切ろうとしないでー! こ、声をかけようにも風圧がすごすぎてムリだ! だれか! だれかあのふたりのバーサーカーを止めてくれー! あれドアノブが回転し)

 一触即発。高まった緊張がいよいよ爆発しようとした――、その時であった。
 ギィ……と扉の開く音。おもわずふたりが視線を向ける。そこに立っていたのは、ユニコーンのぬいぐるみを抱え、くすんくすんとすすり泣く少女。

「ラフィーお姉ちゃんに比叡お姉ちゃん……、ケンカはだめだよ……?」

 泣く子と地頭には勝てぬ。
 ついさっきまで殺気全開だったふたり(主に比叡)は、あわててユニコーンを宥めにかかるのだった。





 ***





 比叡が必死になってなだめすかしたおかげで、ようやく泣きやんだユニコーン。

「ぐすっ……、も、もうケンカしない……?」

 その場に座り込み、ぬいぐるみをぎゅっと抱えて、ユニコーンは涙目で問いかける。
 とても胸の痛い光景だった。こんないたいけな少女を悲しませるくらいならば、過去の遺恨など水に流してしまえ!
 (元々あきらか朝チュン後のふたりを見てカッとなっただけで、比叡としては実はラフィーに対する恨みはあまりないというのもあるが)
 そんな決意の篭もった瞳を、先ほどまで隣でぼけーっと突っ立ってるだけだったラフィーに向ける。
 するとコクンとうなずくラフィー。心は同じということか。一歩前に出るラフィー、自分たちの決意を、ユニコーンに伝えてくれるつもりのようだ。

(ああ、私たちは最初から争い合う必要なんてなかったのかもしれませんね……)

 過去の恩讐を乗り越えた瞬間。胸にこみ上げる熱いモノに比叡が浸っている横で、ラフィーは力強く答えた。

「それはムリ。こいつとはいつか決着をつける」

 ずっこけそうになる比叡。比叡の決意は残念ながらまったく通じていなかった。

「ふぇ……」

「な、泣き止んでユニコーンちゃん! ラフィーがいってることはウソ! ね? もうケンカなんかしないから!」

 ラフィーの言葉にふたたび涙目になるユニコーン。あわててフォローを入れる比叡だったが。

「それこそウソ。どうせこいつもいつかは決着をつける気まんまん」

「ふぇぇ……」

 さらに涙目になるユニコーン。まったく空気を読まないラフィーに舌打ちしそうになる比叡。
 いや、そもそもついさっきまで殺し合おうとしてた相手と、眼と眼で通じ合えたと本気で考えたのも虫のいい話であった。
 比叡は改めて決意を口にする。

「いい加減にしてください! もう決着をつける気なんてないし、あなたと戦うことは今後一切ありません! 過去のことは忘れます!」

 比叡の決意表明に、しかしキョトンとした表情を浮かべるラフィー。
 なにか考えるような素振りを見せると、やがて心底哀れみに満ちた表情に変わった。

「決着つけないの? ……ラフィーが怖いの?」

 ブチンと、比叡は己の血管のブチ切れる音が聞こえた。

「はぁ!? この日ノ本初の誇り高き戦艦である私が、あなたごとき駆逐艦の小娘を怖がるですって!? なんなら今すぐにでも決着を……、あ」

 失言に気づいて口を押さえる比叡。横目でユニコーンを見ると、いよいよダムは決壊した。

「やっぱりケンカするんだ! うぇーん!」

「あー! 泣かないでユニコーンちゃん! ウソよウソ! ケンカなんてもうしないから!」

 ふたたび必死であやしにかかる比叡。そして空気を読まないラフィー。

「そう――、ケンカするのは今じゃない。だから安心して」

「なにそのキメ顔!? 安心できるわけないでしょう!? もう、さっきからなんなんですか!? そんなにユニコーンちゃんを泣かせたいんですか!」

 ユニコーンの泣いてる姿になにも感じないのか。比叡の怒声に、しかしラフィーは無表情で首をかしげる。

「……? ユニコーンは目の前でケンカをされるのが嫌なんでしょう? ならユニコーンの前ではやらない。問題ない」

 この女には情というものがないのか。いや、これがラフィーなりの情の示し方なのかもしれないが、あまりにもストイックすぎやしないか。

「あ、あなたね。そんなに私を沈められなかったことを気にしてるの……?」

 比叡の問いかけに、ラフィーは迷いのない眼で答える。

「かつて仕留め損なった獲物が目の前にいるのなら、こんどこそ仕留めようとおもうのは当然でしょ?」

 比叡はおもわず頭を抱えたくなった。ラフィー、敵としてその名を記憶こそしていたが、それはあくまで艦としての記憶である。
 人として改めて生を受けてから遭遇したのは、指揮官の配慮もあり実のところ今日が初めてだったのだが、よもやここまでの戦闘狂だったとは――

「ふぇええええええん!」

「あー! ユニコーンちゃん泣かないで! ほら! ユーちゃんもいってますよー、『ユニコーンちゃん泣かないで(裏声)!』って」

「……どうしたの比叡? とうとう頭までかわいそうなことになったの?」

「うるさい! あなたはもう黙ってなさい!」

 目をむき出してラフィーを怒鳴りつけると、比叡はすぐにユニコーンへ柔和な笑みを向ける。

「ほーら、ユニコーンちゃん。元気出して、ね? ね? 『ユニコーンちゃんが泣くとボクも悲しいよー』」

 私はいったいなにをやっているのか――、日ノ本初の国産戦艦として生まれ、かつて御召艦にまでなったことのある自分が――。
 栄光の日々を思い返し、世の無常を儚みながらも裏声でユーちゃんを演じる比叡。
 ボソリと、ユニコーンが呟いた。

「……ユーちゃんは自分のこと、ボクなんていわない」

 上目づかいでこちらを見つめるユニコーン。
 なんの感情も感じられない、透き通るような眼に気圧される比叡。
 こんなちいさな少女に気圧されている? ありえない。そんなのはあってはならないことだ。
 比叡は己の中に一瞬芽生えた怯懦を振り払うように、声を振り絞って問いかける。

「えっと……。じゃ、じゃあ、なんて呼ぶのかしら?」

「ユーちゃんは……」

「ユーちゃんは……?」

 そこで黙り込むユニコーン。
 なんだ、なんだというのだ。緊張感からごくりと唾を飲み込む比叡。
 やがて静かに、そしてよく通る声でユニコーンは答えた。

「……某」

「渋い!?」

 え、そういう一人称なの? 予想外の返答に面食らう比叡に、ユニコーンは続ける。

「ユーちゃんは忠義者で、決してユニコーンのことを裏切らないの……。指輪だって、最初にユニコーンにくれるの……」

 「うふふ……」と笑うユニコーン。ふだんのかわいらしい少女らしからぬ暗い声色に、おもわず身震いする比叡。
 抱きかかえたユーちゃんの隙間から、上目づかいで比叡を見やるユニコーン。その瞳の奥に、淀んだ光が見えたような気がした。
 おもわず「ひぃっ」と小さく悲鳴をあげて指輪をつけた右手を隠そうとしたが、その眼はいつも通りの小動物然としたものだ。

(気のせいだった……? そ、そうよね、ユニコーンちゃんがあんな眼をするわけないものね……)

 さておき、そんな小動物前とした眼から感じる期待。
 『……この娘、実はけっこう余裕あるのでは?』と疑問をいだきつつも、律儀にユーちゃんを演じ始める比叡。

「ゆ……『ユニコーンちゃんが泣くと某も悲しいでござるよー』」

「ユーちゃんはござるなんていわないよ……?」

「あ、ごめんなさい。ついなんとなく……ってこらラフィー! 朝からお酒なんか飲むんじゃありません!」

 静かにしてるかとおもったら、こいつ飲酒してやがる!
 ラフィーは赤ワインの瓶をぐびっと煽ると、ぷはぁと息を吐いてからボソリという。

「ふ、ラフィーの乾いた魂を癒せるのは、戦場としみったれたアルコールだけ、さ……」

「渋いセリフのつもりだろうけど、ただのアル中の言い訳にしか聞こえませんよ!?」

「黙ってろといわれたから黙ってやってるのにアル中あつかい……。やはり今ここで決着をつけるべき……?」

 アルコール臭と共に剣呑な雰囲気をただよわせるラフィー。いかん、このままでは元の木阿弥である。あわててフォローを入れる比叡。

「あー! あー! 私がいいすぎました! 好きなだけアルコール摂取してて結構です!」

「結局アル中あつかい……。ラフィーはただワインを飲まないと手が震えるだけなのに……」

「それ充分アル中ですよね!?」

「ふぇえ……」

「わー! ユニコーンちゃん泣かないで! ……あーもう! どうしてこんなことにー!」

 余談であるが――、ほかの娘たちが顔を出さなかったのは、このような出来事は『通過儀礼』だからだった。
 一度本気で向かい合ってやりあえば、過去の恩讐を水に流すまでは不可能でも、己の中で割り切れるようになると、統計でも出ているらしい。
 ほかの艦娘たちからすれば、配慮に配慮を重ねてふたりを会わせなかった指揮官は"過保護過ぎる"といったところだった。
 いい含めておいたはずのユニコーンが顔を出してしまったのは誤算であったが、心優しい彼女であればしょうがないことかとだれもが肩をすくめた。
 かくして――、ようやく部屋から出てきた他の少女たちが取りなしてくれるまで、比叡はふたりの少女に翻弄されるのであった。
 愛宕曰く、それはそれは「ほほえましい光景」だったそうな。






 なお、指揮官が掴まっていたドアノブの部屋はユニコーンのものであった。
 いい加減に掴まっているのも限界だった指揮官は、ドアノブが回転すると同時に手を離してしまい、あとは十数メートル先の廊下の端までビューン。ドカーン。バタリ。
 全身打撲。全治二週間。ベッドに横たわる指揮官。看護役としてその左右に配置されたのは――ラフィーと比叡。
 すでにお互いの存在を割り切れる程度には和解していたが、そのことを知らぬは指揮官ばかり。
 指揮官曰く、それはそれは「スリリングな二週間」だったそうな。








 おわりだぞ、と☆








〜あとがき〜
リハビリ用の短編です。
原作はここ最近もうずっとアズールレーンしかやってないのでアズールレーンです。
比叡を入手したテンションで書いたので、比叡の性格はよく把握していません。
それいうとラフィーの性格をちゃんと把握しているのかも怪しいのですが、えーっと……戦闘狂のアル中ダウナー系幼女?
とりま致命的な感じのミスを見つけたら修正入れるとおもいます。はい、いつも通りですね。
もう数本書けばなにか形になりそうな気がする。



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