まどろみの中から、意識が浮かび上がっていく。
 俺は上半身だけを起こすと、腕を伸ばし、欠伸をする。
 未だ寝ぼけた意識の中、ふいに、いい匂いがした。
 朝食の香ばしい匂いに、靄の掛かっていた意識が本格的に覚醒する。

 ベッドから降りると、ナノトランサーでサッと寝間着から普段着へ切り替える。
 次いでドレッシングルームで身支度を終えると、ベッドルームから出て、すぐ左へ。
 そこには、つい最近部屋に増設したばかりのキッチンルームがあった。

 カチャリカチャリと、食器を動かす音が聞こえる。
 テーブルを挟んだ先に、少女の後ろ姿が見えた。
 型式番号GH-440。名はカンナ――俺のPMだった。

 食器棚に背が届かず、用意した台の上に乗っている姿を見て、思わず口元が綻ぶ。
 気付かれないように、朝食の準備をする姿を見つめつつ、椅子へ移動する。

(父親が娘を見る心境と言うのは、こういうものなのだろうか)

 微笑ましい気持ちで眺めいてる合間にも、少女は仕事を続ける。
 彼女はいつも着ている緑色の服の上に、白いエプロンを付けていた。
 それをはためかせながら、せっせと朝食の準備を進めていく。

 一枚目の皿には、目玉焼きとソーセージ、そしてキャベツの炒めた物を。
 二枚目の皿には、パンを一切れ。

 それぞれの皿を両手に持つと、振り返ってピョン、と台から飛び降りる。
 すぐ目の前のテーブルにつま先立ちでそれを載せると、次はキッチンに置かれたコーヒーを取ろうと、振り向こうとしたその時。
 向かい側の椅子に座っている俺に、ようやく気がついたのか動きが止まる。

「ま、マスター……?」
「あぁ、おはよう、カンナ」

 ニコリと、笑顔を浮かべて朝の挨拶をする。
 少女の仕事に取り掛かると回りが見えなくなる、そんな真面目なところが好ましかった。

「朝食の用意、いつもありがとな?」

 それはいつものやりとりだった。
 いつも通り、口元に笑みを浮かべつつ、「これが僕の仕事ですから」と、少女の姿には似つかわしくない大人びた反応をされるのだろう。

 ――が。

「べ、べつにマスターに食べて欲しくて用意したわけじゃないんだからね!」

 予想は裏切られ。
 ビシッと右手人差し指で俺を差しながら、カンナは俺にそう言った。

「……え?」




四月馬鹿と鈍感




「エミリア、今日は何の日か知ってる?」
「……知らない」

 ぶーたれた表情であたしは答える。
 それを見たルミアは、形のいい片眉を釣り上げ、怪訝な表情を浮かべる。

「? どうしたのよエミリア、機嫌悪そうね?」
「……こんな朝っぱらから、いきなり部屋に入ってこられれば誰だって不機嫌になると思うわよ」

 ――遡ること数分前、時間にして朝6時のことだった。

 深夜にまで及んだ研究がようやく終わり、布団に入れたのが3時過ぎだった。
 疲れ果てた体をベッドで休めていると、突如部屋に鳴り響くチャイムの音で、強制的に目覚める。
 はじめは無視する気でいたのだが、とにかくしつこく鳴らし続けられたもんだから。
 腹がたって文句でも言ってやろうとドアを開けたら、ルミアがいたのだった。

 ――そして現在。
 あたしはまだ寝間着姿のまま、ベッドに腰掛け寝癖だらけの髪で、目の前で来客用の椅子に座ったルミアの相手をしている。
 これで不機嫌になるなと言う方が無茶な話だった。

「……うぅ、あと3時間は寝れたのに」
「もう、あんまり寝てばっかりだと早死するわよ?」
「うるさいわね! それにまだ寝始めてから3時間しか経ってなかったわよ!」
「あら、そうなの?」

 ケロッとした様子で答えるルミア。
 「それは悪かったわね」と悪びれた様子も無く言う。
 糠に釘もいいところだ、さっさと話を先へ進めることにする。

「っで、何しに来たの? まさかエイプリルフールだ、ってことを伝える為だけにやってきたんじゃないでしょうね?」
「えぇ、そうよ」

 ――ここで殺意を抱いたあたしを、一体誰が攻められようか。

「へぇ……たった、それだけの理由で、あたしの貴重な睡眠時間を奪った、と」

 眉間に皺が寄るのが、自分でも分かった。
 どす黒い感情が、腹の底から湧き出す。

 ……そりゃあ、確かにバレンタインは知らなかったわよ。
 でもね、エイプリルフールくらいあたしだって知ってるわよ!

「ふふ、分からないかしら、これはチャンスなのよ?」
「……チャンス?」
「そうよ。今日はエイプリルフール、嘘を付いても許される日。
 つまり、この日の発言は概ね"本来とは逆の意味"で受け取られるってこと」
「……それくらい知ってるわよ」

 だから何だと言うのか。
 あたしは訝しげな表情を浮かべつつ、返答次第ではこの拳を使うことも辞さない覚悟を決める。

「つまり、つまりよ。
 例えば"ノー"と言えば"イエス"、"出来ない"と言えば"出来る"、"嫌い"と言えば……」
「……っ!」

 あたしはハッとする。
 ルミアの笑みが更に深まる。

「そう、そういうことよ」

 ――つまりルミアは、ソウジに「嫌いだ!」と言って遠回しに告白するつもりなのだ。
 何という策士だろう。確かにこれならあの鈍感だって気づかざるを得ないハズ。

「……でも、それを何であたしに伝えに来たの?」
「ふふ、言ったじゃない。あなたは私の友達だって。なら勝負はフェアにいかないと、ね?」
「ルミア……」

 あたしは思わず驚愕する。
 こんな自らにとって何のメリットも無いことを、「友人だからフェアにいきたい」と言う理由で行ったのだ。
 目的のためなら手段を選ばず、いざとなったらあたしのことをオルゴーモンの群れに叩き落すくらいやると思ってたが。
 どうやらそのイメージを塗り変える必要があるようだ。

 あたしの目の前で笑みを浮かべるルミア。
 その姿は、さながら巫女様の生まれ変わりのように神々しい(注:死んでるけど死んでません)。

「それじゃあ、ルールは伝えたことだし……、あたしは先に行くわね」
「へ?」

 何が起きたのか分からなかった。
 瞬間、ルミアが素早く手を振ったと思ったら、体が縛られて、え? え? え!?

「な、なにこれ!?」
「ふふふ、マヤさんが最近作ったばかりの暴徒捕縛用のワイヤーよ」

 黄色いワイヤーに縛られ、ゴロリとベッドの上に転がるあたし。
 椅子から立ち上がったルミアは、そんなあたしを腰に手を当て見下ろしながら、笑みを浮かべている。
 さっきと同じ笑みなのに、もはやその意味合いは180度変わっていた。

「ど、どうして……」
「どうしてこんなことするのかって? 決まってるじゃない。
 確かに勝負の内容はオープンにしたわ。ルールが分からなければフェアじゃないもの……、けどね」

 その笑顔は、完全に嘲笑へと変わる。

「どちらが先に告白するかは、別にルールとは関係ないでしょ?」

 「それじゃあ先に行ってくるから、頑張ってねー」と手を振りながら、ルミアは颯爽と部屋を飛び出していた。
 それを呆然と見つめるあたしだったが、徐々に目の前の現実を理解し、体に震えが走る。

「……は、ハメられたぁあああああああああああ!」

 ――見事に、出し抜かれた。


****


 あっけにとられ固まる俺を、指差し続けるカンナ。
 徐々に、カンナの顔が赤くなっていくのが分かった。
 指も、プルプルと震えだす。次第に顔が俯きだしたのを見て、声をかける。

「か、カンナ? どうし」
「う、うわーん!」
「カンナ!?」

 「どうしたんだ」と言おうとしたら、突如顔を両手で覆いながらキッチンルームを飛び出していってしまった。
 風に乗って「ク……チさ……の嘘……きっ!」と聞こえたような気もするが、よく聞き取れなかった。
 とにかく後を追いかけると、カンナはそのまま隣室にある俺のベッドに飛び込み、毛布にくるまっている。

「大丈夫か?」

 何と声をかけていいのか分からず、口から出たのはこの言葉だった。

「いまは……ひとりにしてください……」

 毛布越しのくぐもった声。
 だけど明確な拒絶を感じ、俺に発せたのは、「あ、あぁ」と言う情けない言葉だけだった。
 後ろ髪を引かれる思いで部屋を離れると、朝食を一人でとり、部屋を出て通路を歩いているところだった。

 カンナのことは心配だったが、拒絶されている以上どうしようもなかった。
 とにかく折を見て帰宅して、もし落ち着いているようなら話を聞いてみるしかない。
 消極的な行動しか取れない己に、歯痒さを感じつつそう結論付けると、ふと先の光景を思い出す。

「それにしても、カンナもあんな女の子みたいな喋り方するんだな」

 思い出して、少し和む。

 ……もしかして、それが恥ずかしかったんだろうか?
 あれはあれで普通に可愛らしくていいと思うんだが――勿論、いつもの喋り方もいいと思うけどな(キリッ

「ソウジさん!」
「ん?」

 考え事の最中、声のした先へ振り向くと、ルミアの姿があった。
 こんな朝早くから何故? と思いつつ、口元に笑みを浮かべて声をかける。

「あぁ、ルミアか、おはよう。こんな朝からどうしたんだ?」

 しかし返事はこない。
 ん? と思いつつ様子を見てみれば、何か緊張している。

(まさか何か大変なことでも起きたのでは?)

 それを伝えに来たと考えれば、朝早くからこのコロニーにいる意味が途端重みを増す。
 俺はサッと身構え、ルミアの一挙手一投足に目を向ける。
 出来れば何事も無ければいいが――。そしてルミアは、意を決したように言葉を発する。

「べ、べつにソウジさんに会いたいから来たってわけじゃないんだからね!」

 ――ビシッと、右手人差し指で俺を差しながら。

「……」

 たっぷり三十秒ほどの沈黙。
 ルミアはその姿勢のまま、動かない。
 俺は、強烈な既視感に晒されつつ、何とか口を開く。

「そ、それは流行ってるのか?」
「え!?」

 驚くルミアに怪訝な表情を浮かべる俺。

「流行ってるのかって、どういうことですか!?」
「いや、どうもこうも……。今朝な、カンナが同じようなポーズで似たようなセリフを」
「ま、またその子に先んじられたんですか!」

 膝から崩れ落ちるルミア。
 ……どうでもいいけど通路に膝をつくと汚いぞ?

「くぅー! またカンナ! 一体何者なの……?」
「いや、だからお前も知ってるあの子なんだが」

 研修生時代から何度か顔合わせしてたハズだが。
 俺は首を傾げるしかなかった。


***


「ふ……んぅ……んんっ……!」

 ――迂闊。
 あまりに迂闊だった。

 ルミアは初めからハッキリ言っていたのだ、「勝負」だと。
 "フェアにやる"とは言った。確かにルールを教えなければフェアでは無いだろう。
 しかし、そのルールの下で敵を出しぬくことは、決してアンフェアでは無いのだ。
 それを勘違いして"位置についてよーいドン"を始めると思ったあたしの甘さに歯噛みする。

「これで……よし……っと!」

 あたしはようやくワイヤーから抜け出ることに成功した。
 ……危なかった、ベッドの小物入れに刃物を入れておいたのは正解だったわね。
 「男の人は狼ヨー」とチェルシーに渡された時は何を言ってるのか分からなかったが、キッチり役に立った。

 あたしはベッドの前に降り立つ。
 ベッド上の刃物で切断されたワイヤーの残骸を忌々しげに見下ろすと、それを掴み、とりあえず研究材料棚に突っ込んで置く。
 不愉快だけどあのマヤが作った物だ、何かの足しにはなるかもしれないと言う判断だ。

「さて、これからどうしよう?」

 あたしは右手を顎にあてて考える。
 ルミアは既にソウジとエンカウントしていると見て間違いないだろう。
 それに対して確かに焦る一方で、同時にソウジがそう簡単に崩れるとも思えなかった。

 どうせルミアのことだ、いくらエイプリルフールとは言え、面と向かって罵声を浴びせるような真似は出来ないだろう。
 精々「べ、べつにそんなんじゃないんだからね!」とか言って場を濁すのが関の山だ。
 まったくどこのツンデレだっての。大体こんなテンプレ台詞、今時アニメでだって滅多に見ないわよ。
 ……ん? 今何か視線を感じたような……。

 とにかく、元より鈍感なソウジを相手にするのなら、良きにしろ悪きにしろ強烈なことを言わないとダメなのだ。
 そのことを、あたしは先日の女将さんを見てよく理解した。

 ただあたしにあんな妖艶さは出せないし、やっぱり発言のインパクトで挑むしかないわよね……。
 ここはやはりあいつに出来ず、あたしにしか出来ない方向で攻めるのが得策だろう。となれば先に挙げた罵声がベターか。
 例えばそうね……、「あんたなんて大嫌い!」くらい言えば、さすがのあいつだって驚くだろう。
 「どうしていきなり?」と考え、今日がエイプリルフールだと言うことを思い出し、その意図に気付くハズだ。

 正に完璧な作戦。
 よし、これで行こう!

 ……いや、待った。
 確かにこの目論見通りに事が動けば万々歳だ。
 けれど、仮にあいつが今日はエイプリルフールだと言うことに気づかなかったら?
 そもそも「どうしていきなり?」と疑問を抱かず、言葉の通りに受け取ってしまったら?

 ――最悪のケースだ。
 特にソウジは妙に冗談の通じないところがあるから。
 そうなってしまう可能性は非常に高い。高すぎる。

 リスク無くしてリターンは無い。
 けれど、これはあまりにもハイリスクではないだろうか?

 なら、あたしもツンデレ作戦で突っ切る?
 いや、ダメだ、それじゃあルミアの二番煎じになってしまう。
 それに何だか知らないけど物凄いデジャヴがするし……。

 と言うか悪態を付くくらいのことなら、あたしは普段からやってるし……。違和感なく受け取られてしまいそうだ。
 嘘だと伝えるのなら"逆の態度"を取ればいい、ならいつもと違って素直になれば……!

 だ……ダメダメダメ! 恥ずかしい! 恥ずかしすぎる!
 ……え? 決戦前には素直になるどころか抱き合ってた? だ、だってあの時はまだ意識してなかったんだもん!

 だけど、このままじゃ明らかにあたしの分が悪い。
 ルミアの想いまでは伝わらなくても、好意を感じ取って今まで以上に仲良くなっちゃうかもしれないし……。

 激しく悪態を付くか。
 少し素直になるか。

 頭の中で二つの選択肢がぐるぐると回る。
 時間はない、早く選択しないと、どうする、どうする?

 そこにチャイムの音が鳴った。
 「いるかー?」とドアの向こうから声が聞こえる。ソウジ――!?
 今はルミアと会ってるハズじゃ?! って言うかまたこのパターン!?

 だ、だけど今回はあの時とは違うわよ。
 ちゃんと鍵がかかってるからこのまま入ってこれないハズ! ここは息を殺して――

「おっ、鍵が開いてる。入るぞー」

 ――ルミアが出てってそのままだったー!

 やっぱり、あたしはこのパターンから抜け出せないの……?
 扉が開くと同時に姿を表すソウジ。それを見て動揺したあたしは、発作的に口を開いた。


***


 ルミアがブツブツ呟きながら何にも反応しなくなってしまったので、やむなくその場から離れる。
 いや、別に放置するワケじゃないぞ? エミリアを呼びに向かう為だ。

 こういう時はとりあえずエミリアが声をかければ反応を見せてくれる。
 二人とも顔を合わせれば憎まれ口を叩きあってる中だけど、何だかんだで仲は良いのだと感じる。
 最近は先に会った俺とよりも、後から出会った二人の方が親しそうで、少しだけ寂しかったり。

 とは言え、元教官としては、教え子同士の仲がいいと言うのは素直に嬉しいことだと思う。
 ――もちろん、彼らの同僚としても、な。

 何はともあれエミリアの部屋へと向かっているその時。
 ふと目の前に人影が見えた。

 俺は、その影に向かって声をかける。

「あれ、何やってるんですか?」


***


「ソウジ!」
「お、おう?」

 入ると同時に大声で呼ばれ、怯むソウジ。
 構わずあたしは次の言葉を吐き出す。

「大好き!!」

 ……OK、あたしは今、何て言った?
 ひらながにすれば"だいすき"、ローマ字にすれば"DAISUKI"。
 英語にすればLove、要するに好きね、あーあー、だいすきね、大好き。
 確かにソウジのことは大好きだ、うん、納得。

 ――激しく悪態を付くわけでもなく。
 ――少し素直になるわけでもなく。
 咄嗟にあたしがとった行動は――激しく素直になることだった。

(う、うわぁああああああああああああああああああ!!!! な、何言っちゃってんのあたしぃいいいいいいいい!!?)

 ボン! と頭から湯気が立った気がする。

 顔が熱いなんてもんじゃない。灼熱地獄だった。
 激しくこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。
 それが無理ならせめて、せめてこの場で転がらせて欲しい。
 それも無理なら、ええい! いっそのこと殺せ!

 あたしが恥ずかしさのあまり本気で舌を噛み切ることを考えていると、ソウジが口を開いた。

「え、えーっと……」

 うあー……。
 恥ずかしくてソウジの顔が見られない。
 俯くあたしに、何か困ったような様子でソウジは言葉を紡ぐ。

「俺も、好きだよ。エミリアのこと」

 サラリと、一言。

「……!」

 思わず顔を上げると、そこには恥ずかしそうにあさっての方向を向いているソウジがいた。
 珍しく、わずかに赤く染まったその頬を見て、あたしも再び顔に熱が集まるのを感じた。

 が、視線がある一点に向いた瞬間、一気に冷める。
 頬が、引きつる。

「……何やってんの? チェルシー?」

 視線の先、ソウジの後ろ。
 扉の枠に半身を隠しながら、何やら口元を押さえているチェルシーの姿があった。
 それを見て、「あっ、忘れてた」とソウジが呟く。

「エミリア……」
「……なに?」

 いつになく重いトーンで話すチェルシーに、僅かに戸惑うあたし。

「……今日の晩御飯は、お赤飯だヨ!」

 しかし直後、いつもの、いや、いつも以上のハイテンションでチェルシーはそう言った。
 な、何言っちゃってんのー!? そんな初潮を迎えたってワケじゃないんだから……!
 あれ、そういやあの時ってお赤飯出たっけ……って! 何考えてんのあたし! と、とにかく止めなきゃ!

「ちょっ、チェルシー!」
「それじゃあ、楽しみにしててネ〜♪」

 そう言って扉の枠から離れるチェルシー。
 あたしはそれを追いかけようと、ソウジを追い越し、扉の向こうを見る。

 しかし既にチェルシーの姿は消え去っていた。げに恐ろしき健脚である。
 あのスカートでどうしてこれだけの機動力がたたき出せるのか。

「そんな……」

 ガックリと、扉の枠に掴まりながらずるずると崩れ落ちるあたし。
 ――終わった。向こうしばらくはこのネタでお父さん達にからかわれる……。
 やたら生々しく想像できる未来にゲッソリしていると、上から声が聞こえてきた。

「大丈夫か? エミリア?」

 ハッとして見上げるようにソウジの顔を見ると、困ったような、曖昧な笑みを浮かべていた。

 再び、顔が熱くなる。
 ソウジの顔を見るのが恥ずかしくて、プイッと顔を逸らす。

「ねぇ、ソウジ」
「ん? なんだ?」
「さっきの、その……、あたしのことが好きって……本当?」

 胸が、高鳴ってる。
 破裂するんじゃないかってくらい、激しく。

「あぁ、もちろんだ。だって……」
「だって……?」

 あたしはソウジの言葉を促しつつ、頭の中がヒートアップする。

 あぁ、どうしてこんな時に限ってあたしは寝間着姿なんだろう。おまけに髪もボサボサ……。
 け、けどシャワーくらいは浴びれるはずだから大丈夫よね。
 この前手に入れた「超薄々」はベッドの小物入れに入ってるからすぐ出せるし……。

 ――告白=ベッドインって、どれだけ脳内ピンク色なのよ。これじゃあルミアのことどうこう言えないじゃない。
 そんな内なる声が聞こえてきたけど、とにかく、あたしの頭の中が激しいパニックに見舞われていることを理解して欲しい。

 ソウジが口を開く。
 ゴクリと、唾を飲み込む音がやたら大きく聞こえた。

「だって、仲間だろ?」
「……え?」

 急速に、熱が引いていくのが分かった。
 ソウジの顔へ、視線を向ける。

「ルミアも、カンナも、ユートも、チェルシーさんにウルスラさん、それにクラウチさんも、みんな大好きな仲間だよ」

 ――それはそれはいい笑顔で、ソウジはそう語った。


***


「……そうよね、あんたって、そういう奴よね」
「さっきからどうしたんだ? いきなり不機嫌になって?」
「べっつにー……」

 並んで通路を歩く、あたしとソウジ。
 ……ソウジの鈍感っぷりを考えれば、こうなることくらい十分想像出来たハズだった。
 結局、混乱から熱に浮かれてしまったんだろう、あたしは。

(それでも少しくらい察してくれたって……)

 思わずジト目でソウジを見てしまう。
 困ったような笑顔を浮かべるその姿を見ると、ため息が出てしまう。

(いっそ「愛してる」くらい言えば良かったかしら)

 ――どうせ、それでも通じないんだろうけど。
 自分の心がささくれ立っているのが分かる。
 何をやっても無駄なんじゃないかと投げやりな気持ちになる。

 ……ええい! ダメだダメだ! こんなの非生産的よ!

「ソウジ!」
「な、なんだ?」
「喫茶店で奢りなさい!」
「え? 何でだ?」
「自分の胸に聞け! いいから行くわよ!」
「おいおい……」

 ソウジの右手を掴むと、喫茶店まで引っ張っていく。
 やれやれと言った様子で引きずられていくソウジの体温を感じながら、少しドキドキしている自分が憎い。

 向こうに着いたら早速からかわれるんだろうなぁと言うことを、敢えて考えないようにしながら、あたしは足を動かすのだった。
















***


「あの……、何をやってるんですか? ルミアさん?」

 その頃、通路の脇で蹲ってブツブツ言っているルミアが、頭を冷やそうと部屋を出たカンナに発見されていた。

「あら、貴方はソウジさんの……。私は今、カンナって娘が誰なのか推理しているの、邪魔しないで……」
「? 僕もカンナですけど」
「知ってるわ。けど私が探してるのは、貴方じゃなくて女の子の方のカンナよ……」
「……いや、あの。僕も一応、女性型PMなんですけど」
「一緒にベッドで眠るだけでは飽き足らず、私の先を行くなんて……! くぅ! 一体誰なの!?」
「……聞いてませんね」

 ――と言うか自分はずっと男の子だと思われていたのか。
 カンナはやるせない気持ちで胸が一杯になる。

「こうなったら、ソウジさんの部屋に再び盗聴器を……」
「……この前撤去した盗聴器、あれルミアさんが仕掛けた物だったんですか」

 思わずため息をつく。部屋に盗聴器を見つけたのはあれで4度目のことだった。
 どうして彼女はこうなってしまったのか。先走ることはあっても、こんな犯罪行為に手を出すようなことは無かっただろうに。
 カンナは過ぎ去った時の重さを、ひしひしと感じるのであった。





 〜あとがき〜

 無理矢理行事ネタを絡めようとした結果がこれだよ。


 


2010/04/07改訂

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